東海道を徒歩で歩いています。今回は横浜市・戸塚宿から平塚宿まで。ざっくりとした行程はこんな感じ。今回、かなり相模湾に近づく。横浜が終わり湘南と呼ばれる地域に入る。巨大な首都圏なだけあり街並みは延々と続くが、だいぶ高い建物は減り富士山も見えてくる。そのような空気感の変化を楽しんでいただけたらと思う。詳細の行程は(初めて)マイマップにまとめてみた。
前回のブログはこちらから↓sampit.hatenablog.com
4日目 遂に湘南、そして富士山
2021年2月23日・天皇誕生日の祝日に、東海道の続きを。前回のゴール、そして今回のスタートは戸塚駅。自宅から井の頭線経由で渋谷まで出て戸塚に行くことになるが、普通は湘南新宿ラインで東海道線か横須賀線まで行くのが一般的なルートだと思う。しかし徒歩旅行という一般的には変な試みをしているわけだから、出発地点までの道程も一捻りしてみたい。いわゆる横須賀線、湘南新宿ラインである品鶴線のゼロキロポストを横目に見つつ思案する。(東京に来て10年になるがこんなものがあるのをこの時初めて気付く…)
結論、京急と横浜市営地下鉄で行くことにしてみる。乗換検索では遅くて高いから出ないルートなのではなかろうか。ホームで待ってると入線したのは京急2100系。この電車が入線すると嬉しい。なぜならば首都圏では珍しく、追加料金無しでクロスシートに座れるからだ。進行方向を向いて眺める都心の景色は新鮮だ。
走り出した電車から見える車窓は、歩いてきた東海道の街並み。品川、大森、蒲田、川崎、神奈川…と見知った街並みを行く。30分程で京急グループの一大拠点、上大岡に到着する。ここで横浜市営地下鉄に乗り換え、戸塚駅へ。横浜の地下鉄は滅多に乗らないから新鮮。頭の中で横浜の地図を思い浮かべてみるが、自分がどの辺りにいるか全然ピンと来ない。駅の出口には、江ノ電バスが停まっていた。江ノ電のバスがいるということは、かなり海が、湘南が、近いのかもしれない。歩き始めてまだ海を見ていないから、胸が高鳴る。11:30に歩き始める。すぐに目についたマンホールの図柄。東海道と箱根駅伝を組み合わせたような絵だ。箱根駅伝のルートを調べると、戸塚駅付近では東海道ではないところを走っているが、この先藤沢の方では、東海道とルートが重なっているようだ。
本陣や脇本陣の跡に案内が立っていて、宿場であった歴史が大切にされている。そして、奥には明治天皇が滞在したことを示す石碑があった。こういう石碑はこの後も度々目にしたが、遷都の際に通ったのだろうか。道は少し小高いところを進み、横浜らしい住宅街を眺める。人々の日常、穏やかな景色。国道1号線に出る。藤沢まであと少しだ。ただ静岡は136キロも先。歩くにはとんでもない距離、徒歩で京都ってかなり無謀…。この日はとても暖かかったから、みんな海に向かうのだろうか。藤沢方面は渋滞。
1時間半ほど進んで藤沢市へ。さよなら横浜。大渋滞の遊行寺坂。この辺りは箱根駅伝のルートでもある。箱根駅伝でいうと3区だ。坂の名の由来、遊行寺。ここは時宗という宗派の総本山、由緒正しいお寺だ。時宗の開祖は一遍上人。仏の力は絶対的だから、信じるもの信じないもの問わず往生出来るという教えだそう。興味深いのは、念仏を唱える時に踊るため、踊り念仏とも言われていたこと。盆踊りの原型と言われているらしく、宗教音楽ということになるのだろうか。境内を散策、今の本堂は昭和12年築だそう。遊行寺を出るとすぐに、6次目、藤沢宿に入った。通り沿いのシャッターに、往年の藤沢宿が描かれている。1840年頃に歌川広重が描いた藤沢だ。相模湾と江ノ島神社の鳥居と、開放的な海沿いの雰囲気が伝わってくる。さっきのシャッターに描かれていた浮世絵のカラー版もあった。川、海、空、色合いの濃淡が繊細。東海道は現在、国道467号という車通りの多い道になっているが、連なる家並みは古いものが残っている。そしてお茶屋さんが多かったのは宿場時代の名残だろうか。豊島屋という古い和菓子屋さんだったと思う、桜餅とうぐいす餅を買う。
東海道は少し海から離れた状態で、東から西に伸びているから、見えそうで海がなかなか見えない。途中小田急江ノ島線を跨ぐ。仲良さそうな二人組の道祖神が、花に囲まれ、化粧までしている。車で通ったら気付けない、こういう小さな気づきが徒歩旅行の良さだなとしみじみ。
東海道線の駅にもなっている辻堂。東海道から現在も人気の大山まで北西に伸びる大山みちが分岐していた。街道らしく松並木が続く。暫くすると茅ヶ崎に入る。今では湘南の中心というイメージのある街だが、茅ヶ崎には宿場は置かれていなかったようだ。藤沢の次の宿場は平塚になる。東海道を進んできて遂に、富士山が見えた。松並木茂る東海道の向こうにどんと鎮座する富士山、これから富士山に向かって歩いて行くのだ。茅ヶ崎市のマンホールに描かれていたのは、相模湾に浮かぶ烏帽子岩。サザンの歌詞に出てくるのを知っている。調べてみると戦後の一時期、米軍の射撃訓練に使われていたらしく、岩の形がかつてとは少し違うらしい。
関東平野の西端である相模川に沿って相模原の橋本と茅ヶ崎を結ぶ、相模線が真下を通り過ぎる。首都圏にいることを忘れる長閑な路線。時刻は16時半。夕方になり始めた頃に茅ヶ崎の市街地に入った。平塚方面の車通りが多い。一里塚の跡が史跡として残っていた。日本橋から14番目の一里塚。一里は約4キロだから、56キロ来たということになる。日本橋からここまでずっと街が途切れていない。誰かの家や会社がずっとここまで続いている。首都圏のメガシティさたるや。街宣車の車列が行く、この日は天皇誕生日だったのだ。
市街地にある第六天神社。本殿の彫刻やかわいいお地蔵さんを見て休憩。平塚までもう少し。17時を過ぎて、日が暮れ始めるもなんとか平塚まで行きたい。左富士という名所を見つける。東京から京都まで歩く時、大まかに東から西に向かって海沿いを歩くことになる。そして富士山は東海道より少し北に位置しているから、前方右側に見えるのが普通だ。しかし、この茅ヶ崎の南湖、さらに先の静岡・吉原では珍しく左手に見えるということで有名だったそうだ。思いっきり左に体を向けて写真を撮ったので富士山を正面に撮った写真になってしまったが、確かにくっきりと左側にあった。
17:30過ぎ。国道1号線は日本橋より60キロ。
平塚に入る直前、不思議な遺跡に出くわす。関東大震災が発生した時、ここで鎌倉時代の相模川にかけられた橋脚跡が突如地中から出てきたらしい。ただ実際の橋脚の遺跡は、腐敗を防ぐためにこの地下に埋め戻されていて、目の前に見えているものは震災時の様子を復元しているとのこと。凄いんだろうけど実際のものは地下で見えてないし、何を見させられているんだろうって気持ちになる…。そして日が落ちてきて寒くてしょうがない。
17:50、相模川に架かる馬入橋に差し掛かり、遂に平塚市へ。相模川はこの辺りだと馬入川と呼ばれている。源頼朝がここの橋を渡る際、馬が暴れ川、に落ちたという言い伝えが名前の由来らしい。それから橋をかけるのは不吉とされて、江戸時代まで船で渡していたそう。日没のタイミングで馬入橋を渡れたから、遠くに聳える富士山と空の美しい景色を見ることができた。
18:20、7番目の宿場近くの平塚駅前に到着。今回はここまで。日本橋から64.7キロ。まだまだ続きます。
続きはこちら→会社員の東海道53次旅行記・完全踏破⑤【湘南・小田原】 - 旅の記憶
【余談】弘栄堂というお店で"ちょんまげ最中"という和菓子を購入し、美味しかったのでご紹介します。丁髷塚という近くの史跡の素敵な逸話にまつわるお菓子でした。丁髷塚