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前回の記事では、ミラノからシエナへの移動、そしてシエナを散策したことを書いた。ここではシエナからほど近いチェルタルドという町に行ったところから書き始めようかな。
シエナからチェルタルドへの小旅行
シエナに着いてから2回目の朝を迎える。
バールで一杯 un caffè, per favore!(ウン カッフェ ペルファヴォーレ)と言ったらエスプレッソが飲める。バールのおじさんは朝から沢山来るお客さんの相手で忙しそう。みんなすぐ飲んで出て行くから回転率が高い。洗い物が大変そう。
朝の散歩を クリスマスが近く、飾り付けがしてあった。
カンポ広場の全体を少し離れて見てみる。広場は平坦ではなく、市庁舎の方向(写真右手側)に下っている。
この日はトレニタリアの在来線に乗って近くのチェルタルドという町へ。シエナの駅は旧市街を出た後に、エスカレーターを使って丘を下ったところにある。その途中のButiという友人おすすめのお店でお菓子を買ってシエナ駅を目指す。
お菓子は厚紙の皿の上にのっけてくれてこういう風に包んでくれる。わくわくしますよね。Pasticceria(パスティッチェリア)というのはケーキ屋さんの意味だそう。
列車に揺られ40分ほどだったでしょうか。のどかなトスカーナの農村を駆け抜けてチェルタルドに到着。
駅前。人口は1万6千人ちょっとの小さな町。とても静か。
駅からまっすぐの道を歩くと、露店がちらほら。バスの側面が開いてお店になる移動販売車もいました。これはなかなか新鮮だ。
もう少し歩いてみると…
急勾配の坂道 そして“中世の村こっち”みたいな案内板がこの道の向こうを指さしている。登るしかない…
坂道沿いの家に住んでこの道に車を駐車する生活は大変だ。そうそう、イタリアの住宅街の道では、どこでもこの写真みたいに道沿いにみんな車を止めている。
坂を登ること五分ほど
振り返るとこんな感じ。きれいな景色が見えて少し報われた気持ちに。
そして中世の村の入口の門があった。(後から気づいたのですがこの丘の上の古い町へはケーブルカーで行けるみたいです)
こんな丘の上に村を作るなんて完全に防衛上の理由ですよね、きっと。行きづらくて住みづらい場所にあえて集住してるのは。
さて、この丘の上の古い町へ入っていきます。
今でも人々の生活に使われています。本当に観光客が少ないから、ゆっくり中世の街並みを満喫出来て贅沢。この日は天気も良くて、坂を登ったおかげで寒く感じず。そして周りは畑に囲まれているから空気がきれいで心地よかった。
先ほどの道をまっすぐ行くと教会?町の中心っぽいところに大きな建物が。この不規則に飾られているお皿のようなものは何だったのでしょう…
町は30分もあれば一周できてしまうくらいの大きさ。町の端っこからはトスカーナのきれいな農村風景が一望できます。そして「デカメロン」を書いたボッカチオの暮らしていた家もありました。
再び坂を下って、新市街へ。駅前にホテルが数軒あれど、フィレンツェやシエナと比べると観光客は非常に少なく、穏やかに、ゆっくりとできてとても好きな場所だった。(もしかしたら日曜だから静かだった?)
チェルタルドの駅から旧市街を見上げる。
チェルタルドの駅のホーム。日本より線路とホームの段差が小さい。
このあと、チェルタルドからPoggibonsi(ポッジボンシ)という町までトレニタリアで移動して、バスに乗り換え、塔の町として有名なSan Gimingnano(サンジミニャーノ)に向かおうと思ったが、バスのダイヤが少なすぎて断念。シエナに戻る。
ポッジボンシはシエナとチェルタルドの間にある。(ちなみにシエナーポッジボンシーチェルタルドーフィレンツェと鉄路はつながっているから、フィレンツェからもチェルタルドなどは行くことができる。)
こんな列車に乗った。 イタリアの列車はよく落書きされている。
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シエナからローマへ!
次の日、僕はローマへ向かう。シエナとは一旦お別れ。
バスターミナル。USCITA(ウッシータ)は出口の意味。旅行してると頻繁に見かけるのですぐに覚えた単語だった。
またもや乗り換えだけにフィレンツェを利用。東京での生活における飯田橋のような立ち位置にしてしまっている。けどバスターミナルから駅に行く途中に少しドゥオーモが見えちゃんですね…
再びのFirenze Santa Maria Novella駅。赤い矢でローマまで1時間半ほど。少し遅延してたけど特に問題は起こらなかった。
Roma Termini(ローマ・テルミニ)駅で下車。イタリア共和国の首都ローマに到着!
イタリアにはイタリア国鉄(Trenitalia/トレニタリア)だけではなくもう一つ鉄道事業をやっている会社があって、そこが運行している高速列車Italo(イタロ)がテルミニ駅にいた。走行区間が結構フレッチャロッサと似ていて、どんな相違点があるのかあまり分からず。
ローマ・テルミニ駅
駅前は路面電車が走っていた。あと結構道の勾配が激しいぞ。もしやローマは東京みたいに坂の多い面白い町??と期待を膨らます。
期待を膨らますもこの日は疲労がたまっていたので宿に着くと早々と就寝。ご飯を食べに行くのも面倒だったから宿の隣のスーパーでサンドイッチを食べてすぐにぐっすり眠ってしまった。
翌日朝起きると、雨の降る音が…こっちに旅行に来てから初めての雨。疲労もまだ残っていたこともありすっかり観光する気をなくし、部屋でだらだら。ホテルの隣にスーパーがあったことが生活を堕落させた。あ、でもイタリアのスーパーにはお惣菜とかお弁当とかほとんど無い。そしてコンビニは全く見ない。日本の都市生活は便利すぎるんだろうな…
昼過ぎ、日が傾き始めるころ(運よく雨は上がっていた)、ローマでフリーな日は今日だけだと気付き焦る。明日は日帰りでナポリに行く予定、そして明後日は再びシエナに戻る予定だった。
やばい、見るべき場所を見きらない…!そして日が暮れる前に…!となにか義務感のようなものに駆り立てられて外に出てみる。
最初に行ったのはホテルの近く(テルミニ駅からも近い)Basilica di Santa Maria Maggiore(サンタ・マリア・マッジョーレ教会)へ
入口の方に回って…
大学での建築史の授業(他学部の授業を気が向いたときに潜っていたやつ)でなぜか強く印象に残っていたのがここ、サンタマリアマッジョーレ教会。初期のキリスト教建築なんだけど、教会の建築様式が定まる前は、古代ローマの集会施設バシリカを代用して使っていました。それでバシリカの形が教会の様式として基本になってましたみたいな内容だった気がする。で、サンタマリアマッジョーレは5世紀に建てられていて、バシリカ式の教会堂なんだけど色々な改修の中で各年代の様式が混在していて面白いんですって先生が言っていたはず。
セキュリティチェックを受け、いざ中へ ここはただで中に入れます。
もともとは集会施設を基にしているために、細長い構造に。空間が巨大だ~
教会の中の奥にはこのような場所が。一段と神聖な感じ。だけど何か色合いというか雰囲気がオリエンタルでもありませんか?仏教関連のものともデザインとか似てる気がするなぁと感じました。
この扉のついた大きな木箱は何なのかなと思っていたら…
中に神父さんがいました。懺悔を行ってる?っぽい男性がいました。英語用の場所もあった。博物館(有料)も併設されていたけど、僕は先を急いで次の場所へ
歩いてトレヴィの泉へ行ってみる。
だいぶ暗くなっているし、画質悪いけど、道中の街並み
トレヴィの泉までは20分くらい歩いたかな
もう夜になってた。観光客だらけで、スリとかミサンガ売りに警戒
ザ・観光地という感じ。ん~特に感動するものでもないかな~
ひねくれてるからみんなとは逆の方向から写真を撮った。異様な人だかり、集まりすぎだ!!!
次は歩いてパンテオン(Pantheon)へ。歩いて10分くらい。この辺りは道が入り組んでいて狭くて難しい。迷ったから適当に人の流れについていったら到着
紀元前25年に建てられているパンテオン。古すぎます。ここも中にただで入れる。この日まだ全くお金を使ってない。
ここは結構感動しました。柱がなく、ここもまた巨大な空間。
この後スペイン広場まで距離はあるけど歩くことに。途中疲れたから、地球の歩き方に載っていたジェラテリアに行こうと思ったけど、店舗が移転していて断念。
クリスマスが近くイルミネーションが各所で
スペイン広場 ここも観光客だらけ ミサンガ売りうじゃうじゃ
ここか~ってくらいの感想しか持てず…(多分イタリア的な街並みに慣れっこになっていたんだと思う)
この後、テルミニ駅までメトロで行き、シエナの友人おすすめのトラットリアへ。
美味しい食事にまたもやありつける。感謝。
あの美味しさが忘れられずオッソブーコをまた食べてみる。お店によって味も結構違うんですね。胃袋が足りません。
人気店みたいで、もう店員さんたちはてんてこ舞い。日本でのイタリア人の一般的なイメージとはかけ離れた働きぶり。こっちの人たちは自分たちのお店の味にちゃんとプライドを持って働いてそう。どんなに忙しくてもどこの店員さんも嫌な顔一つ見せず働いている印象。素敵だな~
目の前の器具は円盤状の刃を手で回してハムを切るもの。
テルミニ駅近くのTrattoria Dell'OMOというお店でした。
次の日は朝からナポリへ向かいます。
次のブログへ続く…!