長距離列車でアーグラーからバラナシへ
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アーグラーからバラナシまで長距離の移動。12時間くらいはかかっただろうか。
アーグラー・フォート駅で電車に乗り込むと自分の指定された場所には見知らぬインド人が寝ている。もうこういう厄介な経験には慣れ始めていたため、毅然とした態度でチケットを見せて、私の予約している場所だから出て行ってくれと伝えた。ここまで厄介な人たちが多い国は初…笑
この列車に乗り込んでからバラナシに到着し、その翌日まで私は写真を一枚も撮っていない。
なぜならばひどい腹痛に見舞われたからだ
やはり噂は本当だった。
インドでは絶対にお腹を壊す……
食中毒…
列車でがたごと揺らされる中、体は冷え切り、絶えず腹痛に苦しめられた。20分に一回訪れる激しい痛み、そのたびに列車のトイレに駆け込む。各車両の端にあるトイレ近くにはおそらく無賃乗車でもしているのであろうか、大勢の人たちが立って乗っている。子供の手を引いている人もいた。その人たちを掻き分けてトイレに籠る。お世辞にも衛生的とは言えないトイレでうなだれる自分はとても惨めだった。列車のトイレにはもちろん紙はない。リュックに日本のトイレットペーパーを芯を抜いて何個も持ってきて正解だった。
何度も人を掻き分けてトイレに行くものだから、分からない言葉で嫌味を言われた(多分)。体力的にも精神的にも限界を超えていた。
これが一番のインドの洗礼だった。
列車がバラナシに着いた。友人の助けを借りながら、宿までオートリクシャで移動。クラクションの音、砂ぼこり、うだるような暑さ、そしてどこからともなく香ってくるスパイスとインド人の体臭の混じったような独特の匂い。すべてが苦しさを助長させた。
着いたゲストハウスはオーナーの奥さんが日本人だという宿だった。”Sandhya Guest House”というところ。宿に着くなりベッドに寝込んだ僕にすぐにオーナーさんが薬とインド版ポカリスエットのようなもの(めちゃくちゃまずい…!)を持ってきてくれた。初めて会った優しいインド人…!これを飲んでればすぐによくなるよと言われた。言われた通り薬を飲んでインドポカリを飲んでひたすら寝続けた。
翌日の昼頃からはお粥を食べられるようになった。(オーナーの奥さんが日本人であることから最上階の食堂ではお粥とか親子丼とか日本食メニューがあった!)
その食堂からは遠くにガンジス河が見えた。ものすごく美しい景色だった。
インドを全身で体感してるなと思った。
昼過ぎから街に出てみることに。
ガンジス河を目指して歩く。
ちょうど行ったときガンジス河は増水していたらしく、よくテレビとかでも目にする沐浴をしている場所(=ガート)は水没してしまっているらしい。確かに写真でも水の中に街灯が立っているのが分かる。
この街はヒンズー教最大の聖地。だからかは分からないが、一番インド的な雰囲気が濃密だった。喧騒、クラクションの音、そして独特の匂い、客引き、平然と歩いている牛たち。それだけ牛がいるから街中に死んでる牛も見た。そして死者を火葬場へ運ぶ隊列、瞑想?祈っている人々など。いつもの自分の日常とかけ離れすぎていた。混沌としていてハチャメチャなはずなのになぜか美しい町だ。
バラナシには2泊してゆっくり過ごした。2時間くらい歩くとへとへとになるので何度も
宿に戻って食堂でのんびりしたり部屋で昼寝をしたりした。隣の部屋に泊まっていたネパールから来てる日本人とも仲良くなった。オーナーさんとその奥さんとも仲良くなった。
牛さんギャラリー
最後の二枚は水牛? 牛さんたちも沐浴しているのかな。水浴び?
あまり猫は見かけなかった。
唯一バラナシで見た猫。
宿の下で野菜を売っている人がいた。売られている野菜で美味しいカレーが作れそうだな。
街にはコンビニとかスーパーみたいなものは見当たらず、小さな個人商店ばかりだった。スニッカーズとかクッキーとかが安く買えるのと、日本でもお馴染みのブランドのシャンプーが一回分10円くらいで売っていて便利だった。かなりバラナシに長く滞在している人たちにも数人会った。確かに何をするわけでもないがずっとここにいてしまうような重力があった気がするな。
何をすることもなくぶらぶらした写真をば。
当初の予定ではガンジス河に沿って、ニューデリーから旅をはじめ、アグラ~バラナシ~ブッダガヤを通り、西はコルカタまで行こうと思っていたが、日程のことを考えてブッダガヤまで行って引き返すことにした。2週間では大インド大陸は日数が足りない。そして2週間以上となると体力と精神力も足りなくなってきた。
日数もあれだったけど、先に進むより戻りたいっていう後ろ向きな気持ちもあったかもしれないな。
こんな感じでバラナシ滞在を終え、翌朝ブッダガヤへ向かう。
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