さよならインディア
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元々はコルカタまで行く予定だったけれど、ブッダガヤまで着いたらとても満足感があった。引き返そうか。友人と話し合ってニューデリーに戻ることを決めた。
ニューデリー〜東京の往復航空券は取ってあったけど、その間の鉄道や宿泊先はノープランだったから自分たちで宿泊数と移動時間を常に考えとかないといけない。
未知の国を移動しているけれど、判断を誤ると飛行機に乗れないというスリルがあるから、冷静な決断が大事だった。
幸い、飲酒をする風習のあまりない国だったから、二人とも飲み物はコーラで、常に賢明な判断をすることができていた。
ブッダガヤから一旦バラナシに戻ってきた。
再訪。
ガンジス河の洪水は少し引いていて穏やかになっていた。
数日前まで泊まっていたゲストハウスに戻る。
また来たのねって感じで、オーナーさんや長期滞在の旅行者の人たちと食堂でゆっくりおしゃべりをして疲れを取る。
穏やかな時を過ごした。
数日前はいわゆる旧市街を歩き回っていたから、今回は新しい街の方を歩いてみることに。
意外と発展しているじゃないか…
牛も倒れてないし、道もきれいだし、車通りにも秩序があるし…
ショッピングセンターがあったので、入ってみる。
セキュリティチェックが空港並み。
そしてガラガラ。値段が高いのかな。
そしてなんとそこにドミノピザが入っていた。
その匂いをかいだら強烈に食べたくなって購入。
ホテルに戻って食べた。
こんなにドミノピザを美味しい美味しいって言いながら食べたときは他にない。
美しい円盤、どこで食べても絶対に美味しい保証付き。
日常だった均一的で安定したアメリカナイズドされた社会。これが突然自分の前に開かれていて、嬉しくて、たまらなくなって、むさぼり食べた。
未知の世界を知りたくてインドに来たのに、馴染みのある安定したものが恋しくなっていた自分がいた。
まだまだバックパッカーになれないな。
バラナシの宿で、ニューデリー行きの列車の切符を取ってもらった。
最後にオーナーさんの名刺をもらった。またこの街を訪れるときは必ず泊まりに行きます。
夜行列車でバラナシを離れてニューデリーに戻る。
だいたい15時間くらいだっただろうか。
色んな出来事を振り返るのにはちょうどいい乗車時間だった。
今回は腹痛もなく、インドの田舎の風景を眺めながら物思いに耽りながら夜行列車の固いベッドに身を委ねた。
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二週間ぶりのニューデリーである。
スケジュール的に余裕があったので、ゆっくり過ごした。
散歩をしながら楽器屋さんに行った。
シタール。
友人が買うという英断をしていて驚いた。しかも帰国まで毎日ここにシタールを習いに行ってたし。
弦とか日本に売っているのだろうか。
生のシタールの音色はとても綺麗だった。
まさにこんな音色。本場で髭を蓄えたおじさんの演奏を聞くとなかなか感動する。
ニューデリーのオシャレ地区 コンノートプレイスをぶらぶら。
こうやって、ニューデリーで穏やかに過ごした後、東京に戻ったのでした。
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そしてそのあと、帰国後数日経って…
まさかの
食中毒の再発。
菌がまだ残っていたらしい。
医者にインド行きましたって言ったら一瞬動きが固まってて症状について質問責めを受けた。
平穏に過ごせるはずの我が家で、不覚にもインドから連れ帰ってしまった菌達と死闘を続けた時、心から思ったことは、
「二度と、インドなんて行かない…。」
だった。
だけど、幾らか月日が経った今でも、この旅が一番刺激的だったし魅惑的だったとも言える。最近、東京駅で美味しい南インドカレーを食べて、南インドなら大丈夫かな…と思った。けれどすぐに食中毒を思い出したらやはり行きたくないなと思いなおしたり… 私は時折彼の国に振り回されている。
これからも自分の気持ちを揺さぶり続ける、国であり続けることは確かだろう。
最後まで読んでくれた方ありがとうございました。
これにておしまいです。