2021年3月14日(日)、澄み切った青空だった。旧東海道を歩き始めて7回目。1月の凍てつく寒風の中、日本橋からスタートして、先週ついに10番目の宿場である箱根に到着した。日に日に暖かくなってきて、歩き続けると少し汗ばむ時もある。季節の移ろいと共に西へと進む旅。今回は、とうとう富士山を間近に拝みながら、静岡県に入る。
7日目 富士・駿河湾の絶景と鰻の街・三島
前回の小田原から箱根までの行程はこちらから
今回歩いた道のりは上記地図の緑色のライン。険しい坂道を下り続け伊豆半島の西側、三島の街に出る。
午前10時15分、小田原駅前から箱根登山バスで、スタート地点近くの芦ノ湖を目指す。箱根には、その他にも西武グループの伊豆箱根バスもライバルとして走っている。箱根湯本でバスは満員となり、立ち客もいる状態。そんな中、ぐんぐんと山道を駆け上がっていく。11時半、芦ノ湖畔に到着。すぐに歩き始めるのではなく、東海道を外れ箱根神社を目指す。箱根神社に来た理由は、御朱印をいただくためだ。東海道を歩く間、今回から各地の御朱印を集めることにした。箱根神社に参拝し、御朱印を書いてもらう。初めての御朱印、想像以上に列が長く、集めている人の多さに驚いた。前回のゴール地点・箱根関所までバスに乗る。運転手さんはマイク越しに、「ここからの芦ノ湖が一番綺麗ですよ」とか「この杉並木は昔の東海道ですよ」とかひっきりなし。ツアーバスと化した車内では、案内がある度に車内の全員が同じ景色を眺めた。とても平和な光景で、なんだか微笑ましい。首都圏を抜けるんだな。何故だか強く実感した瞬間でもあった。12時半、箱根関所に到着。芦ノ湖の向こうに雪化粧をした富士山。ここでひとつ勘違いに気付く。今日は下り坂のみと思っていたが、この芦ノ湖周辺は周りのどこよりも標高が低い。カルデラ湖というのはそういうものか。だから芦ノ湖を離れる際にもう一度上り坂があるのだ。石畳の坂道。杉の木立の合間、箱根八里の歌詞のような景色を進む。石畳の道は15分ほどで終わった。13時過ぎ、とうとう標高の一番高い場所に辿り着く。箱根峠、標高846メートル。こんなに高い場所まで来ていたとは思いもしなかった。
箱根峠で静岡県に入る。もう東海地方だ。さよなら関東。
振り向くと、雄大な箱根山が見渡せる。標高1,438メートルの活火山は一大観光地には見えない無骨さがある。箱根峠を越え、少し進むと旧道への入口があったが、行く手が阻まれていた。令和元年の台風で道が壊されてしまっているということなのだ。仕方がないので車通りの多い国道沿いを歩く。旧道が通行止めであることを知らずに来た街道歩きが趣味の方と会い、話をしながら坂道を下っていく。この方は東海道歩き2回目。愛知から来ているらしい。知識が豊富な方の話は聞いているだけで楽しかった。この先静岡はずっと富士山を横目に歩けるから良いですよとのこと。坂を下ること40分、山中城址というところに着いた。ここで街道歩きの先輩とは別れる。ここは戦国末期、後北条氏の拠点だったそうだが、豊臣秀吉の小田原攻めで落城してしまったそうだ。石垣は無く、土城であることがとても貴重とのこと。山中城址から歩いてきた道を振り向き、撮影。気が付くと大変のどかな場所に来ていた。もう完全に東京圏は抜けた。山中城址から先は、綺麗な石畳の道が続いていた。杉の木立からの木漏れ日で石畳が細長く光る。緩やかに緩やかに、海に向かって下っていく。一度大きな道に出る。標高は420メートルくらいまで下がってきたようだ。視界が綺麗に開けて、くっきりとした富士山が目に飛び込んできた。小田原で見ていた時とは見え方が違う。本当に周りの山とは違い、富士山だけが綺麗な円錐型をしていることが不思議だ。そして、ここで絶景に息を呑んだのは富士山の眺望だけでは無かった。前を見ると遥か向こうにきらめく駿河湾が見えるではないか。道は駿河湾に向かって下り続けていく、今日はあの海沿いの街まで行くんだと思うと胸が高鳴る。海を見ながら下り続ける。上り坂より体力こそ使わないが、足への負担は結構なものだ。この時点で15時15分、約2時間坂道を下り続けたことになる。途中途中に小さな山里がある。人々の暮らしの風景もまた牧歌的で美しかった。手作りの看板。地元の人も旧街道を大事にしているのが分かる。少しずつ海が近づく。そして少しずつ富士山も近づくような気がする。時には若草の茂る道を進んだり。先週、必死に上った分、絶景を見ながら下っていく。ここまでの坂道には様々な名前が付けられていた。例えば
こわめし坂:あまりの急勾配で背負った米が汗で蒸されたから
臼転坂:臼が転がるほどの急勾配だから
など、全部急勾配であることにちなんだ名前だった。伊豆縦貫道?東駿河湾環状道路?地図を見ると名前が併記されている高速道路を跨ぐ。ここでもまた富士山が綺麗に見えた。富士見ヶ丘という地名はよく見るが、ここまで綺麗に富士山が見える富士見ヶ丘は初めて。これぞまさしくといった感じだ。だいぶ家々が増えてきたがまだ下る。松並木も見事。そして錦田の一里塚は、当時の榎が健在。この辺りは本当に面影がよく残っている印象を受けた。だいぶ西日が差すようになってきた16時半、東海道本線を超える。小田原で別れて以来の再会。私は小田原から箱根を越え、一方東海道線は熱海・丹那トンネルを経由してきた。鉄道が走れる標高のところに戻ってこれたことが嬉しかった。ここからはだいぶ平地の景色。三島の街に入ってきた。ここでバランスを崩しふらつくお婆ちゃんに手を貸して、少し会話する。今日は色んな人と会う日だ。旅行をしてるとこういう日が偶にある。
箱根神社と三島大社の御朱印を同じ日に貰いたい、そんな欲が歩いている途中に生まれてしまった。三島大社の御朱印受付は17時まで。超ギリギリ。ボロボロの足で走る(いや正確には走ろうとしても走れなかったから早歩き)。
16時55分、何とか間に合って、少し怪訝な顔をされながらも御朱印をいただけた。ありがたいことだ。
箱根八里の達成感と共にとても大切な記念になった。三島はかつて駿河国では無く、伊豆国だった(お隣の沼津は駿河になる。)。三島大社は伊豆国一の宮であり、東海道中に鎮座すると共に下田街道の起点なのだそう。この鳥居の向こうが下田街道なのかしら。下田街道らしき道沿いを少し散策。そして、三島に着いた祝福をすることに。1人で食べるうな重、美味しさと達成感。今まで食べたうなぎで一番美味しかった。私は遂に箱根八里を歩き切ったのであった。
お腹も満たされた後、三島の市街地・旧宿場を歩く。街中に沢山水の流れがある。そしてどこも透き通った流れだ。三島は水の都とも言われているらしく、富士山の伏流水が沢山湧き出ているらしい。それはうなぎも美味しいわけか。三島のうなぎはかつては三島大社の使いとして食されていなかったそう。明治維新後に薩摩と長州出身の官軍の人たちが食べてその美味しさが話題になり、うなぎが名物になっていったらしい。なぜかパラオの名誉総領事館という珍しいものを街道沿いに発見。
三島宿本陣跡の記念碑。この世古本陣には日米修好通商条約を締結したハリスも宿泊したそう。伊豆箱根鉄道の三島広小路駅に18時に到着し、この日は終了。距離14.9キロ、標高差800メートル近く。この日の行程が終了した。全行程の中でも、かなり達成感のあった一日だった。ご当地パン『のっぽパン』を食べつつ、車窓をみつつ、余韻に浸りながら東京へと戻ったのであった。
つづく。会社員の東海道53次・完全踏破⑧【三島~富士・吉原】 - 旅の記憶