9日目 桜咲く富士の街、富士川を越えて
2021年3月28日(日)、自宅近くは天気が悪かった。11時頃から雨も降り始める。今日は東海道を歩くのは厳しいだろうかと、静岡県富士市と検索して雨雲レーダーを凝視する。富士市の天気は、幾分か東京よりもましなようだ。今週も先に進みたい気持ちが止まらない。家にある雨合羽を持っていけばなんとかなるはず。衝動を止められず家を出たのは正午、足は品川に向かっていた。
こだま727号、品川13時04分発。曇天のこの日も、私は東海道を歩きに向かった。
今回歩いた行程はこちらのピンクのライン→
そして、前回の記事(三島〜吉原)はこちら→会社員の東海道53次・完全踏破⑧【三島~富士・吉原】 - 旅の記憶
14時04分、曇り空の新富士駅に到着。新富士駅に在来線は乗り入れておらず新幹線のみの駅。だからなのか構内は閑散としている。富士市のコミュニティバスでスタート地点の吉原本町駅へ向かう。車窓からは製紙工場が見える。富士市は市街地と工場が混在している印象を受けて、いまいち街の盛り上がりがどこなのか掴めない。バスはイオンモールに寄るも乗降は無し、車社会のようだ。14時55分、吉原本町駅前から歩き始める。岳南電車は全駅から富士山が眺められることを売りにしていたが、この曇り空で眺めることはできなかった。駅前から伸びる商店街を進む。B級グルメ、つけナポリタンは食べてみたかった。アドニスというお店の方が、Twitterで東海道についてまとめている私のアカウントを見てくれた。そのアドニスのある交差点を左折する。旧道の道標もあった。青葉通りを横切る。この辺りで吉原の市街地は終わったような雰囲気だ。マンホールはかぐや姫のデザイン。富士市に伝わるかぐや姫では、最後かぐや姫は月ではなく富士山に帰ることになっているそう。大きな煙突が見えてくる。製紙工場は海沿いに密集しているのかと思っていたら、さにあらず。思ったよりも暮らしに近い。廃線跡の匂いがする緑道。調べるとやはり、旧身延線跡らしい。こういう鼻の利き方が出来るようになってきたのは嬉しい。煙突の前を通り過ぎ5分ほどすると、富士駅前の商店街に出た。吉原本町周辺よりやや街は大きいか。富士駅からは東海道線の他に身延線が甲府に向けて分岐する。町の和菓子屋さんでおやつを、時間はすでに16時。
街道沿いの金正寺というお寺、鐘楼の前の山桜が満開だ。ここにまつわる、"金正寺の猫"という昔話が可愛らしい。富士市 | 【広報ふじ平成7年】富士の民話あれこれ
古い信号機と、見事な桜を愛でながら進む。もう4月も目前。花曇りというには少し厚すぎる雲が覆う。
身延線のガードを潜りぬけた時、ついに雨が落ちてきた。なんだかんだでここまで雨に降られたことがなかった歩き旅。やむなく諦めて合羽を羽織ってみるも、歩いているうちに暑くてしょうがなくなってくる。結局傘をさして進む。三島からずっと平坦な場所を歩いてきたがこの辺りで様子が変わってきた。前方に雲隠れした山が見えてきたのだ。そして手前には大きな橋も迫ってきた。日本三大急流のひとつ、富士川を渡る。架かる橋は大正13年に国道1号線の橋として完成したトラス橋、富士川橋。少し先に見える観覧車は東名高速道路のサービスエリアらしい。かつてここは船で渡していたそう。橋は6つ連なっていてかなり長大だ。2日目に渡った多摩川よりも長く感じる。向こうに鉄道の橋が見える。こちら側から河口に向かって在来線、新幹線、国道1号と続く。富士川は市境になっているのかと思ったら、そうではなく対岸も引き続き富士市だ。平成の大合併前、この辺りは富士市ではなく富士川町というだった辺りだと思う。川を渡ると街並みの雰囲気が変わるなとこの旅をしていてつくづく思う。細くなった旧道は静かな家並みの中登っていく。品のある小さな集落に来た。ここは宿場ではなく、岩渕という間の宿(宿場間の距離が長い時に設けられる休憩施設を整えた町)。富士川の渡船はこの岩渕村が取り仕切っていたらしく、川が増水した時はここで大名たちも滞在したそうだ。宿場では無いが、往来する人にとって非常に重要な場だったという訳だ。一里塚の榎が綺麗に残っているのもまた趣深い。東名道のガードをくぐって10分進むとツル家というお菓子屋さんがあった。ここは東海道の往来が盛んだった頃、岩渕で名物だった栗の粉餅を復刻している。以前下調べをした時に気になっていたので、お土産として買ってみる。今度は東海道新幹線をくぐる。この狭い通路がかつての東海道だ。雨の中歩き続けて、靴の中にだんだんと水が染みてくる。日が暮れてきたことも相まり、疲れと心細さが襲ってくる。今日は次の蒲原宿まで辿り着きたい。というか恐らく辿り着かないと、帰る術が無いだろう。心細い道中、看板にある静岡市という文字に希望を見出す。静岡市なんて東京から考えると遥か遠くだ。静岡市に入ると、下り坂に。山を一つ越えたようだ。坂を下りきると、栄えた集落に着いた。蒲原宿だ。吉原から12キロ、雨であったこともあり短い割に、とても歩き甲斐があった。既に6時半を過ぎ、あたりは暗かった。また次回ゆっくりと宿場内を見学することにしよう。JR新蒲原駅前でこの日は終了。普通列車でゆっくりと家路に着いた。
この日の戦利品。一つ目は新富士駅で買った東海道53次のトイレットペーパー。地元の工場で作られるご当地もの。全ての宿場が記されていて思い出の振り返りに完璧。そしてもう一つが栗の粉餅。大福にほんわかと栗の香りがする上品な味。歩いたからこそより一層美味しいのだろう。
つづく。