旅の記憶

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【2025年5月】イラン旅行記⑨さらばイスファハン、再訪を誓う

f:id:sampit77:20251022231227j:image2025年5月、軍事衝突が起こる3週間前に訪れたイラン旅行記です。

※前回の記事はこちら→【2025年5月】イラン旅行記⑧ イスファハン名物リベンジ! - 旅の記憶

4泊6日の旅も終盤。6日間の休暇は、雇われの身としてなんとか絞り出した日数だったが、イランを楽しむにはあまりにも短かった。イスファハンのバザールはあと数日いたいし、シーラーズもヤズドもペルセポリスも行ってみたい。まだまだやりたいことが尽きなかった。イランにはまた来なければいけない、そんな謎の使命感に駆り立てられながら朝食を食べていた。f:id:sampit77:20251031213213j:imageホテルの朝食会場にはロシア人が目立った。アメリカと敵対するイラン・イスラム政権はロシアとの関係が良好だ。だからロシア人観光客も多いのだろう。ただ、近代史に目を向けると、イランはロシアと戦争の末、領土を割譲されたり、不平等条約を締結させられたりと、かなり鬱屈とした気持ちにさせられる出来事が多い。決して心からの友とは言えない歪さがある。

女子学生の絶叫

翌日テヘランの空港から帰路に着くため、今日中にテヘランに戻らなければ行けなかった。午前中がイスファハンを満喫できる最後するひと時になりそうだ。一昨日知り合って仲良くなったイラッジとは朝10時にイマーム広場で会う約束をしているので、ホテルから歩いていく。その道すがら、登校中らしき女子中学生(?)15人くらいに出会った。

「Tourists!!!!」

私を見るや否や、各々大きな声で叫んだ。何かタブーでも犯してしまったのかと思ったが、みんな満面の笑み。珍しい旅行者に驚嘆したということらしい。その中の1人がモジモジしながら「どこから来たの」と聞いてきた。学校で習った例文を使ってみます、という感じで初々しい。「東京だよ」と返したら、また絶叫。「キャーーー!ワーワー」とまた思い思いに驚き、喜び、高揚していた。悪い気はしないが、こちらは相手が落ち着くまで微笑むことしかできない。そのあとは怒涛のやり取りで「私は、日本のアニメや韓国のアイドルが大好きです」という自己紹介を受けたり、「イラン料理何が好き?」と質問を受けたり、会話が止まらない。f:id:sampit77:20251031220011j:image結局、15分くらい和気藹々としてしまい、イラッジとの集合時間に遅れてしまった。みんな純朴で良い子たちだった。

ラスト・チャイハネ

イラッジは「シャー・モスク」の入口に腰かけて待っていた。おっちゃんとの待ち合わせ場所は世界遺産だ。

「とりあえずシーシャ行こうか」

とイラッジ。最後にもう一度チャイハネに行けるのは嬉しかった。この日訪れたチャイハネは地下ではなく路面店だった。しかも朝食を取っている人もいる。煙たくないのだろうか。f:id:sampit77:20251031220714j:imageイラッジは顔が広い。店内の至る所で挨拶していた。その中にはバザールに店を持つ職人さんたちも沢山いた。f:id:sampit77:20251031221709j:imageイラッジは、ビジネスのことを考えるのが好きな人だ。「日本でチャイハネやったらいいんじゃない?」としきりに勧めてくる。彼なりの妙案らしいのだ。「その時は地下の店舗を借りるべきだよ」と助言もしてくれる。彼はこれまで絨毯のお店以外にも、ドバイに行ったり、東京に来たり、色々なビジネスをしてきたらしい。さらに遊牧民に街から薬を届けるボランティアもしていたとのことで、発想力と行動力がある。ただ、そんな彼の妙案、日本でのシーシャビジネスは、個人的にはそこまで刺さらなかった。むしろ、イスファハンの素敵な工芸品を日本で広める方が人気はできるのでは?と思ったりもした。そんな他愛の無い話をし、リラックスしてきたタイミングで「そろそろ行こうか」とイラッジが立ち上がった。彼はいつも長居はしないのだ。

さよならイラッジ、また会う日まで

チャイハネを出ると、バザールを散策した。イラッジのオススメで「フェレニー」というスイーツを食べてみる。f:id:sampit77:20251031222025j:image米粉とミルクで作るプリンのようなもので、甘い黒蜜のようなものがかかっていてとっても美味しい。これまで食べたイラン料理の中で一番日本人向きかもしれない。f:id:sampit77:20251101120116j:image2人で遊ぶ時の拠点となった絨毯屋へ最後に寄ることに。「折角だからこのノートにコメント残してよ」とイラッジに言われる。このノートはイラッジが会った初日に見せてくれたやつだ。ノートには、何人もの日本人が次のようなコメントを残していた。

「イラッジさんは悪い人ではないので安心してください。ペルシャ絨毯は買わなくても大丈夫ですが、紹介された絨毯が素敵だったので、結局私は買ってしまいました」

当初、訝しみながら読んだいくつかの日本人のコメント。結局買わされてるじゃないか、と斜に構えていたが、今改めてみると深く同感できる。イラッジを悪い商売人だと勘違いしないで欲しいし、ペルシャ絨毯は素敵だし…。結局筆を走らせてみれば、先人たちと同じような文章になってしまった。f:id:sampit77:20251101120111j:imageこの絨毯屋で何杯のチャイをご馳走になっただろう。イラッジが、チャイをいつも渡してくれるお兄さんへ「チップ渡しておいで」とアドバイスをくれる。その言葉を聞いた時、それで良かったのか。と色々腑に落ちたのだった。というのも、これまで沢山のイラン人たちから、施しを受けたり、驚くほど親切にされたりしていたのだが、どう感謝の気持ちを伝えるべきなのか悩んでいたのだ。チップを渡すのは、それはそれで失礼だろうか、などと考え過ぎていたことが杞憂だったようでスッキリした。チャイの兄さんに1ユーロ、そしてイラッジには4ユーロ渡してみた。この金額が正解なのかは分からない。f:id:sampit77:20251101154619j:imageイラッジとお別れ。モスクの前で見送りをしてくれた。「また必ず来るから!」と大きく手を振り合ってさようなら。涙が出てしまって、あまり直視できなかった。f:id:sampit77:20251101154821j:imagef:id:sampit77:20251101154825j:imageこの広場が永遠に平穏でありますように。そう願ってやまない。

長距離バスの旅・再び

f:id:sampit77:20251101155121j:imageイスファハンのバスターミナルでテヘラン行きのチケットを買う。何社かテヘラン行きのチケットを売っていたが、行きと同じ、安心と信頼のイランペイマ社で購入した。「12番あたりにいてね」とチケット売り場のおじさんに教えてもらう。f:id:sampit77:20251101155125j:imageターミナルは広大だ。その中をアフガニスタンの子供達がガムを売って歩いている。私のところにも来たが、細かいお金がなく買ってあげられなかった。

時間になってもバスが来ない。もし、別の番号のところにバスが来ていたら…と不安になっていた時、「イランペイマ、テヘランテヘランテヘランテヘラン!」と腹の底から大声を出すおじさんが現れた。彼の声を聞いてゾロゾロと人が集まってくる。「バスに案内するぞ」ということだったようで、みんなでターミナルの端に止まっているバスまで移動した。f:id:sampit77:20251101160502j:imageテヘランまでの所要時間は5時間。席が前の方だったので、フロントガラス越しの展望が良かった。見渡す限りの荒野を壊れそうな勢いでひた走る。f:id:sampit77:20251101160505j:image後ろの席に座っていた10歳くらいの男の子と仲良くなる。食べていたポップコーンを私にも分てくれた優しい少年だった。f:id:sampit77:20251101160459j:imageテヘランが近づくと交通量が増え、ノロノロな運転になってきた。東京に向かう高速バスと感覚は一緒だ。f:id:sampit77:20251101160848j:imageテヘラン・サウスターミナルに到着した時、既に19時を過ぎていた。イスファハンよまた会う日まで…。若干のイスファハンシックに罹患しつつ、テヘランに戻ってきたのであった。

つづく

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