旅の記憶

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会社員の東海道53次 徒歩旅行記㉘【三重 亀山~鈴鹿峠】

※前回の旅行記はこちら

28日目 バーベキュー鈴鹿峠

徒歩旅行日:2021年11月20日(土)

亀山宿まで来ると、箱根以来の難所「鈴鹿峠」が目前に迫っていた。亀山から約6キロ先の関宿を過ぎると、もう本格的な山越えで、峠を境に滋賀県へ入ることとなる。箱根峠と違い、鈴鹿峠周辺はほぼ公共交通機関が無く、関宿より先の30キロ弱を一気に歩く必要があった。しかしアップダウンが激しい道のりを一気に30キロ歩ききるのは、体力的にも、時間的にも無理がある。夜通し歩くというのも頭に浮かんだが、冬眠前の獰猛な熊に襲われてしまうのではないか等と不安が尽きない。道中に宿があれば、そこに一泊して歩くのがベストな方法だった。旧東海道沿いに宿泊先がないか調べてみると「バーベキュー鈴鹿峠」という施設が峠越えの道傍にあった。見つけた時は飲食店か何かかと思ったのだが、グーグルマップの写真を見ると、バーベキューやマス釣りに興じる写真と共に、宿泊できるような情報もあった。早速、電話をしてみる。ここ以外、道中泊まれそうな場所は無かった。
「少し狭い部屋になるけど、それでよければ残り一室、空いていますよ。」
とのこと。間一髪だ。
「お願いします。車ではなく、歩いていきます。」
そう告げるとちょっと驚かれたものの、「頑張ってきてくださいね」と労いの言葉を貰って宿の確保に成功したのであった。こうして「バーベキュー鈴鹿峠」という何やら面白そうな宿を目標にこの日は歩き始めるのであった。
前日、会社のつまらない飲み会に付き合わされていたこともあって、朝の目覚めが悪かった。8時に東京・明大前の自宅で目覚めた私は、亀山に着くのはお昼過ぎであることを悟る。アルコールの嫌な匂いをシャワーで洗い流して、秋晴れの中、新幹線に乗った。
f:id:sampit77:20240825133014j:image名古屋からは在来線で四日市まで、四日市からは各駅停車の列車に乗り換えて亀山へと向かった。四日市での乗り換え時間が三十分ほどあり、少し散策する。駅前の銀杏並木の葉が黄色く色づいていた。f:id:sampit77:20240825133034j:image近鉄四日市駅前は商店街があり栄えていたのに対し、JR四日市駅はやけに広いロータリーに数台バスと乗用車が止まっているだけで、人もおらず随分寂しい。
f:id:sampit77:20240825133119j:image亀山を歩き始めたのは14時過ぎ。前回、伊勢神宮へ行くために早足で通り抜けてしまったため、宿場の雰囲気を楽しみながら進む。狭い道幅で両脇に古い家並みや蔵がある。これまでの宿場でも見てきた街道らしい景色だったが、秋空の下だと少し新鮮に思えた。f:id:sampit77:20240826053429j:imagef:id:sampit77:20240826053426j:image
宿場を出ると「野村一里塚」という石碑と共に立派なムクの木が聳えていた。f:id:sampit77:20240828133700j:imageこの一里塚は当時からのものが残っているらしい。そして日本橋から105里、つまり約420キロであることを示していた。400キロを超える距離を既に自分の足で進んできたという事実が示されるが、もはやスケールが大きすぎて実感や手応えというのが無い。f:id:sampit77:20240831222530j:imagef:id:sampit77:20240831222528j:imageしばらく鈴鹿川沿いを歩く。15時半をまわると日が傾き始めた。f:id:sampit77:20240831222639j:image東海道五三次・関宿 重要伝統的建造物群保存地区」と大きな看板の前を通る。f:id:sampit77:20240831222810j:image名古屋の有松と同じく、重要伝統的建造物群保存地区、いわゆる「重伝健」である関宿は古い町並みが美しく残っていることで有名なようだった。この後の道のりを考えると、そこまでゆっくりは滞在できないのだが、少しだけでも町並みを満喫してみたい。

関宿の町並み

看板から10分ほど歩くと、宿場町・関宿が始まった。47番目の宿場町だ。53次も終盤。京都・大阪方面から伊勢神宮を目指す場合、関宿から分かれる伊勢街道を通っていたらしい。今でも伊勢街道が分岐するところには鳥居が立っていた。f:id:sampit77:20240831223316j:image他の宿場町同様、狭い道幅で古い家並みが両側に続く。電柱がなく、まっすぐ見晴らしがよい。f:id:sampit77:20240831223424j:image道が進む方向には美しく鈴鹿山脈の山並が見える。古い家々にも人々の営みがしっかりとあって、柿が格子に干してある風景は、あまりにも浮世絵の世界そのものという感じがした。f:id:sampit77:20240831223558j:image江戸時代に建てられた町家が「関まちなみ資料館」という施設になっていて、山車(やま)や祇園夏祭りについての展示が興味深かった。三重県観光連盟のサイトに拠ると、「関の山」という言葉は、祇園夏祭りの際に関宿の山車(やま)が街並いっぱいいっぱいに通る様子が語源になっているらしい。f:id:sampit77:20240831223952j:imagef:id:sampit77:20240831224539j:image現代のメインストリートから離れている関宿は車通りとは無縁の世界で、とても静か。それが景色と相まって、タイムスリップしているかのように思えてくる。町を包む時の流れ、空気の流れが他の町とは明確に違うことに、胸を打たれた。f:id:sampit77:20240831224814j:imagef:id:sampit77:20240831224817j:image関宿の全長は1.5キロ程と意外と長い。前田屋製菓というお店で、関宿名物だという「志ら玉」という生菓子を買って歩きながら食べてみる。f:id:sampit77:20240831225028j:image包まれたこし餡が淡い甘さで美味しい。暖かいほうじ茶でも飲んで居座りたかったが、どんどんと茜色が濃くなる空に焦りを感じ始め、先を急ぐことにした。恐ろしいことに関宿から「バーベキュー鈴鹿峠」まであと10キロ近くもある。f:id:sampit77:20240831225110j:imagef:id:sampit77:20240831225106j:image

暗闇の恐怖・鈴鹿峠

関宿を出たのは16時半だった。旧東海道国道1号線に合流する。当時いた会社のグルメな方が薦めてくれた「びっくりや」という焼肉屋の前を通るも、残念ながら営業時間外だった。f:id:sampit77:20240831225731j:imageその方は私の徒歩旅行の進捗をいつも楽しみにしてくれていて、元々トラックの運転士をしていた経歴があることから、全国各地の美味しいお店を教えてくれるのであった。もはやこの頃になると、会社でも私の徒歩旅行はかなりの認知度を誇り、一定の理解を得るまでになっていた。  
「京都まで到達したら今度は中山道にするの?」
とか、
「今度は北を目指したら?」
とか、色々と提案を受けることもしばしばで、フロアの一画に貼られた日本地図を見ながら、その度に油を売っていた。f:id:sampit77:20240831225830j:image
「びっくりや」を過ぎてから、人家がなくなり上り坂になる。夕暮れ時、山に向かって歩く私を、対向車のドライバーたちは少し驚いた風に一瞥していく。きっと私が不慮の事故にあったら彼らは「ああ、確かに一人で鈴鹿峠に向かっていく男性を見ました」と証言してくれるのだろうか、と変なことを考えた。f:id:sampit77:20240831225857j:imagef:id:sampit77:20240831225900j:imageしかし、まだここは峠越えの序章に過ぎなかった。日が暮れるスピードは速く、本格的な山道になるときには真っ暗になってしまった。国道に立つ街灯の間隔は案外広く、真っ暗な中を歩くことになってしまった。おまけに肌寒く、急に心細い状況に陥ってしまう。国道は交通量が多く、思いっきりスピードを出してトラックが背後からすり抜けて「ひやっ」とすることもしばしば。これは危険だと思い、スマホのライトで足元を照らし、ドライバーに自分の存在を示した。f:id:sampit77:20240831230147j:image旧東海道国道1号線から外れ、狭い道に入る。街灯は無い。風が木々を揺らす音が響き渡り、今度は一人きりで自然の中にいることが怖かった。星空は綺麗だったがそれを楽しむ心の余裕なんて無く、熊が出てきたら一貫の終わりだな…と思いながら、スマホから音楽を流しながら、そしてライトで前方を照らしながら進んだ。f:id:sampit77:20240831230318j:image途中、沓掛という小さな集落を通った。住人しか通らないような道を歩く私を、家の影から怪しそうに見ているおじいさんがいた。無理もない、怪しげに映ってしまうこともよく分かった。このまま旧道を歩き続けるより、車に気を付けながらも、交通量のある国道1号線を歩くほうが安全だろうと思い、旧東海道から離れ国道1号線を歩くことにした。ただ旧道を進んだ先に坂下宿という宿場があり、国道1号線を進んでしまうと、この宿場を通ることができなかったが、明日、少し道を戻って向かってみることに決めた。f:id:sampit77:20240831230634j:image早く着きたい、その一心で国道を歩く。猛スピードで曲がりくねった道を進む車は脅威ではあるものの、車内には人がいると考えれば少しだけホッとした。f:id:sampit77:20240831230733j:image1時間半、休みなく上り坂を歩き続け、随分と疲労も溜まってきた18時、ついに前方に「バーベキュー鈴鹿峠」の看板を見つけた。場所も状況も全然違うけど、砂漠をさまよったキャラバンが湧き水をようやく見つけた、そんな状況に自分を重ねた。f:id:sampit77:20240831230819j:image建物の前に近づくと前掛けを付けた宿のおじさんが立っていた。
「相当暗くかったでしょう、結構心配してたんだよ。」
と、くしゃっと笑いながらも、少したしなめるような顔で迎えられた。
「遅くなりました、すいません。」
と頭を下げて入った室内は、ストーブで暖かく夕食の支度の香りが漂っていた。心の底からホッとできる場所に辿り着けて、涙がでそうなくらい嬉しかった。f:id:sampit77:20240831230918j:image19時から夕食ということなので、自販機でビールを買って、共有スペースで日本シリーズの中継を見ることにした。さっきまで喉の渇きすら忘れるくらい張り詰めた気持ちで暗闇を歩いていたのに、今やビールを飲んでスワローズの試合を見守っている。f:id:sampit77:20240831231015j:image夕食は「猪鍋」。それ以外にもうなぎや魚のフライやら盛沢山。幸せな時間だった。歩き疲れてかなり空腹だったがそれでもかなり満腹になった。夕食の部屋には私以外にも二十代であろうカップルとおじさまとおばさま五人組がいた。五人組は私の隣のテーブルで酒盛りをはじめ、みんなどんどん顔が赤らみ声が上がっていく。野球中継の実況はもう聞こえない。予想通り、そのグループに私も巻き込まれ、一緒に食事をしたのであった。コロナ禍になって随分ご無沙汰になっていたワイワイガヤガヤの空間は、とても楽しく、賑やかに一日を締めくくったのであった。

つづく。会社員の東海道53次旅行記㉙【三重 鈴鹿峠~滋賀 水口】 - 旅の記憶