旅の記憶

国内、海外問わず、行った場所の旅行記をまとめています

会社員の東海道53次 徒歩旅行記㉙【三重 鈴鹿峠~滋賀 水口】

29日目 難所・鈴鹿峠越え

f:id:sampit77:20240901121335j:image※前回の記事はこちら↓

徒歩旅行日:2021年11月21日(日)

バーベキュー鈴鹿峠の朝は清々しかった。朝食を食べに、宿の共有スペースへ行くと、昨日ご一緒させていただいたおじさま、おばさまたちグループが朝食を食べていた。昨夜の宴会の時とは打って変わって静かなのが少し可笑しい。
「気ぃ付けて歩いてね、ところでお兄ちゃんインスタやってる?」
旅の進捗を知りたいからと、聞いてくれたのが嬉しい。旅のことを随時アップしていくことを約束し、庭で記念撮影をして別れた。f:id:sampit77:20240901233417j:image
「気ぃつけて。」
チェックアウトをすると、宿のおじさんが見送ってくれた。鈴鹿峠で出会った人たちはみんな温かかった。f:id:sampit77:20240901233546j:imageそして、ふと考えれば全員が関西訛りだ。京都は案外近いのかもしれない。

静寂の集落・坂下宿

もう鈴鹿峠のてっぺんは程近いらしい。ただ、鈴鹿峠を登る前に、昨日国道1号線を辿ったことで行けなかった旧道沿いの坂下宿へ向かう。f:id:sampit77:20240901235256j:image朝9時半、昨日来た道を少しだけ戻る。昨夜は真っ暗だったため、通ったはずなのに全く景色に見覚えが無い。想像以上に山深かった。国道1号線から別れて、旧道の狭い道に入ると、赤や黄色に色づく木々が迎えてくれた。f:id:sampit77:20240901234134j:image昨夜は恐ろしく感じた葉擦れの音も、今では清々しいものだった。f:id:sampit77:20240901234400j:image20分歩くと48番目の宿場・坂下宿へ到着した。今まで訪れた宿場町の中で一番静かな場所かもしれない。道沿いの家並みもまばらで空き地には伸びたススキが揺れている。ただ、かつては鈴鹿峠が控えていることもあり賑わいのある宿場だったらしい。f:id:sampit77:20240901234624j:imagef:id:sampit77:20240901234655j:imageある程度見て回ったので来た道を引き返す。途中、徒歩旅行中のご夫婦とすれ違う。お互い驚きながら、和やかに挨拶を交わした。

鈴鹿峠

f:id:sampit77:20240901234959j:imageバーベキュー鈴鹿峠を通り過ぎて少し行くと、落ち葉の被った旧道が分岐していた。そこには「東海道」と木の看板がある。とうとう本格的な峠越えが始まるようだ。滑らないように踏みしめながら進み始める。国道よりも勾配はきつく、すぐに息が上がる。箱根の山越えを思い出す懐かしい景色だ。f:id:sampit77:20240901235543j:image道がまっすぐに伸びたところで、前方に人が見えた。高齢の方に見えるが、足取りは早く、すぐに見えなくなった。f:id:sampit77:20240901235807j:image急勾配の上り坂になり、道もくねくねとしだす。松尾芭蕉の句碑を見ながら息を整える。f:id:sampit77:20240914125655j:image途中、苔の付いた案内板があり、そこには378メートルと記載があった。箱根峠は846メートルだったから、それに比べれば低いようだ。f:id:sampit77:20240914125758j:image時々、視界が開けて、つづら折りになっている国道一号線が見えたりする。f:id:sampit77:20240914125828j:image頭上を見上げると空が見え始めたなと思えば、鈴鹿峠の頂上に達した。旧道に入って30分ほどだった。f:id:sampit77:20240914130050j:imagef:id:sampit77:20240914130053j:imageここが三重と滋賀の県境。東京、神奈川、静岡、愛知、岐阜、三重、そして滋賀。徒歩旅行・7都県目に入り、残すは京都のみとなった。f:id:sampit77:20240914130511j:image頂上から少し道を逸れたところに鏡岩という名所があった。今ではくすんだ色をした何でもない岩だが、明治時代に山火事が起こる前までは艶やかな光沢があり、鬼が鏡として使ったとか、山賊が反射して映った旅人を襲ったとか、言い伝えが残るもののようだ。

滋賀へ入ると、道沿いに畑があり、視界が広がった。f:id:sampit77:20240914130609j:imagef:id:sampit77:20240914130605j:image1号線もトンネルから出てきて旧道と並走する。f:id:sampit77:20240914130743j:imageトンネルの終わりにあった「滋賀県 甲賀市」の標識を見て、遠くまで歩いてきた実感がふつふつと湧いてきた。恥ずかしながら、歩みを振り返るとすぐに目頭が熱くなるようになってきた。やがて1号線に合流し緩やかに坂を下っていく。f:id:sampit77:20240914130839j:imagef:id:sampit77:20240914130835j:image少しずつ民家が見え始める。猪鼻という静かな集落をゆく。f:id:sampit77:20240914130945j:imagef:id:sampit77:20240914130941j:imageまた、徒歩旅行中の60代くらいの別のご夫婦に出会う。挨拶がてら「鈴鹿峠大変でしたね」とか「関宿はきれいでしたね」とか、旅の出来事を共感できるのはとても楽しく、話に花が咲いた。

田村神社と土山宿

次の宿場・土山宿の手前にある田村神社に寄ってみる。f:id:sampit77:20240914131456j:image境内の紅葉は圧巻。境内の散策はとても気持ちが良かった。f:id:sampit77:20240914131618j:imagef:id:sampit77:20240914131621j:imageここは、坂上田村麻呂を祀った神社。というのも鈴鹿峠の悪鬼を坂上田村麻呂が退治したことにまつわるのだそう。御朱印ももらう。
土山宿の入り口に道の駅で「かにが坂飴」というものを買う。f:id:sampit77:20240914131835j:imageこれもこの辺りの名物らしく、鈴鹿峠にいた旅人に悪さをする大蟹の言い伝えが所以なのだそう。

田村神社を出ると、目の前に道の駅があったので昼食を。そしてすぐに49番目の宿場町・土山宿に入ったようだった。土山宿も静かだったが、家並みが途切れず、宿場町自体はとても長い。f:id:sampit77:20240916160407j:imagef:id:sampit77:20240916160411j:imageそして、民家の玄関に置かれている信楽焼の狸をよく目にした。f:id:sampit77:20240916160614j:imagef:id:sampit77:20240916160610j:image狸の隣には防火用のバケツも併せて置いてあることがしばしば、珍しい光景だ。f:id:sampit77:20240916160714j:imageそして、滋賀発祥だという「飛び出し坊や」も至る所で設置されていた。 f:id:sampit77:20240916160807j:imagef:id:sampit77:20240916160811j:image鈴鹿峠を越え、県が変わることで面白い変化だった。
土山宿を出ると、田村川という大きな川に沿って進む。f:id:sampit77:20240916161001j:image次の宿場町である水口(みなくち)は12キロも先であり、距離がある。夕方になってくると随分冷え込み、トイレに行きたくなる頻度が増えてきた。コンビニや公園のトイレを見かけるたびにトイレに行くように心掛けているのに、尿意を抑えながら歩いている時間が長かった。f:id:sampit77:20240916161221j:image
50番目の宿場町・水口に着いたのは17時過ぎ、辺りはすっかり暗くなっていた。水口も静かで、街灯が少なく、雰囲気が良く分からなかったのが惜しまれる。f:id:sampit77:20240916161340j:image面白いことに、旧東海道は町の中で三本に枝分かれしている。それぞれの道は並走していて、最後はまた合流する。どこも同じ場所に辿り着くものの、この選択は迷った。直感で一番左の道を選ぶ。真っ暗な道、時々ある街灯の光が頼りだ。f:id:sampit77:20240916161507j:image自分の足跡が大きな音のように響くほど、町は静けさに覆われていた。誰もこの街にはいないのではないだろうか―、そんな不安さえよぎる夜だった。

近江鉄道という私鉄の駅が宿場町を通っていて、その水口石橋という駅でこの日は終了することとした。f:id:sampit77:20240916161731j:image宿場の雰囲気は次に来た時に堪能しよう。

近江鉄道彦根まで出て、JR・新幹線と乗り継いで東京へと帰ったのだった。

つづく。