和歌山・徳島旅行記②・和歌山ローカル線の旅(紀州鉄道・御坊/和歌山電鐵/めはり寿司)

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3日目 和歌山▶︎▶︎▶︎御坊

旅前に、会社の日本中に詳しい(特に交通において)先輩に、和歌山の面白い場所を聞いてみていた。すると紀州鉄道という日本一短い鉄道路線を教えてくれた。場所は御坊(ごぼう)という街、全くピンと来ない。

自分が無知なだけかもしれないが、小さな街を走る小さなローカル私鉄、これは面白そう。直感的にそう思い、行ってみることにした。

2021年ゴールデンウィーク、和歌山・徳島旅行記3日目を振り返る。(前回の記事は下記のリンクへ。)

和歌山・徳島旅行記① 近鉄特急ひのとりと雷雨の高野山 - 旅の記憶

f:id:sampit77:20230306180206j:image朝7時前、カーテンを開けると和歌山城天守閣。寝転がりながら見るのは何だか憚られるからベッドに座って眺めてみる。f:id:sampit77:20230306180234j:image御坊は和歌山市から約1時間、紀勢本線で南下したところにある街。

御坊へ向かう前に、和歌山市内を散策してみよう。まずはホテルの部屋からも綺麗に見えていた和歌山城へ。f:id:sampit77:20230306180302j:image徳川御三家の一つ、紀州徳川家の居城。堅牢な造りの印象を受ける。入口から城までが遠い。f:id:sampit77:20230306180328j:image城は虎伏山という山の上に作られているらしい。名前の由来は、虎が伏しているような形をしているからだそう。f:id:sampit77:20230306180333j:image虎の像を見ていると、背後から虎のような野良猫がやってきた。猛々しい顔つきでこちらを見ている。f:id:sampit77:20230306180340j:image和歌山城の城主は豊臣家〜桑山家〜浅野家〜徳川家と変遷があり、それぞれの時期によって石垣の積み方が違うそうだ。野面積みという自然の石をうまく組み合わせて積んだ手法は豊臣〜桑山の時代のものらしく、この写真の石垣はその当時のものではなかろうか。石と石の間に隙間が結構あるものだ。f:id:sampit77:20230306180346j:image急な石段を登り、市街地を一望、大きな街だ。f:id:sampit77:20230306180357j:imagef:id:sampit77:20230306181058j:image天守閣の前まで来てみるも朝が早かったため、営業時間前だった。御坊に行く電車の時間もあるため街に戻ることに。f:id:sampit77:20230306181116j:imageまっすぐ駅に向かわず、和歌山随一の繁華街・ぶらくり丁に寄ってみる。f:id:sampit77:20230306181123j:imagef:id:sampit77:20230306180752j:image大きなアーケード街だが、人がまばら。まだ朝が早いからだろうか。f:id:sampit77:20230306180809j:imagef:id:sampit77:20230306180849j:imageぶらくり丁は、中ぶらくり丁、北ぶらくり丁と続いていく。かなりの規模を誇るアーケード街だが、ネットで調べてみると商店街が衰退したというような内容が沢山出てくる。岐阜も似たように繁華街に寂しい印象を受けたことを思い出す。路面電車が廃止された地方都市の、駅から少し離れた繁華街は衰退してしまう傾向があるように思える。f:id:sampit77:20230306180912j:imagef:id:sampit77:20230306180923j:image少し回り道をし過ぎてしまった。急いで和歌山駅に向かい、9:51発の紀勢本線普通列車に乗る。
f:id:sampit77:20230306180939j:imagef:id:sampit77:20230308234210j:image住宅街や工業地帯を抜け、海沿いへ。f:id:sampit77:20230308234214j:image穏やかな和歌山湾の景色、遠くに見えるのは徳島だろう。f:id:sampit77:20230308234218j:image有田川を越えたあたりから、沿線にちらほらとみかん畑が目立つようになった。静岡の薩埵峠で見たような景色。f:id:sampit77:20230308234222j:image途中、特急オーシャンアローに追い越される。オーシャンアロー、大好きなフォルム。昨日見た「特急こうや」といい、幼い頃図鑑で見て憧れていた電車に偶然出会えて嬉しい。f:id:sampit77:20230308234230j:imagef:id:sampit77:20230308234234j:image約1時間の紀勢本線の旅は終わり。11時前に御坊駅に到着した。ここですぐに紀州鉄道へと乗り換える。f:id:sampit77:20230308234238j:image小さな車両がホームの隅で待っていた。御坊駅は御坊の市街地から離れているために、地元の人たちが資金を集めて鉄道を敷いたのが、今の紀州鉄道の始まりなんだそう。f:id:sampit77:20230308234246j:image列車は発車してすぐに南へ進路を変え、西御坊を目指す。民家スレスレをゆっくりと走る。f:id:sampit77:20230308234251j:image西御坊までの間に3駅。その一つである紀伊御坊駅には車庫が併設されていた。f:id:sampit77:20230308234255j:imagef:id:sampit77:20230309003028j:imageたった8分で終点・西御坊に到着、全長2.7キロのローカル線旅はあっという間だった。f:id:sampit77:20230308234259j:image西御坊の駅はあまり終着駅の雰囲気は無く、線路も駅の向こうにまだ続いていた形跡がある。調べてみると、かつてはこの先の日高川という駅まで伸びていたらしい。f:id:sampit77:20230308234315j:image御坊は、浄土真宗本願寺日高御坊が建立されたことにより、寺前町として発展した町。浄土真宗本願寺とは、京都にある現西本願寺のことらしい。日高御坊は日高別院と名前を変え、今なお町の中心として存在する。寺前町としての古い街並みがそのまま残っていて、美しい景色に驚く。f:id:sampit77:20230308234323j:imagef:id:sampit77:20230308234327j:image御坊の古い街並みの中に味噌と醤油を作る蔵があるようなので、向かってみたが定休日、残念。醤油の発祥が御坊の近くの由良町というのと、中国から伝わったという大豆、米、麦、野菜から作られる金山寺味噌に興味が沸いて行ってみたかった。この辺りは味噌、醤油ともに深い歴史がある場所のようだ。f:id:sampit77:20230312162407j:imagef:id:sampit77:20230312162413j:imagef:id:sampit77:20230312162417j:image美しいカーブをする小道、先が見通せない路地はなんだかとても惹かれてしまう。この先に何があるかわからない期待感がそうさせるのだろうと思った。f:id:sampit77:20230312162422j:image見通せない道の先には、御坊の町の礎になっている日高別院があった。1595年に建立されたと伝わる日高別院、残念ながら入口は閉ざされていて中へは入れなかったものの、通りから眺める姿は立派だった。境内にはイチョウの大木があるらしい。f:id:sampit77:20230312162426j:imagef:id:sampit77:20230312162430j:imageこの辺りでお昼になったので昼食を。材木商として成功し、日高御殿と呼ばれていた中川家というお屋敷の一画がレストランになっていたのでそこで天丼を食べる。地元のおじさんに話しかけられる。コロナのこともあるから嫌がられるかと思ったけれど、御坊に来てくれたことが嬉しかったらしくこの町のことを沢山話してくれた。f:id:sampit77:20230312162433j:image
f:id:sampit77:20230312162437j:imagef:id:sampit77:20230312162441j:imagef:id:sampit77:20230312162445j:imageそのまま御殿を見学して、再び路地を歩く。f:id:sampit77:20230312162456j:image町の中心部に大きな幹線道路が通ってない景色が好きだ。イタリアで行ったシエナもそうだったし、日本でも郡上八幡丹波篠山がそうだ。静かで、人々の昔からの生き様がありありと残っている感じ。f:id:sampit77:20230312162500j:imagef:id:sampit77:20230312162504j:imageゆっくりと西御坊の駅に戻ることにした。f:id:sampit77:20230312162508j:image日本一短いローカル私鉄、御坊鉄道。どういう経営になってるのか気になって調べてみると、東京都中央区に本社を置きホテル事業などもしている強かそうな一面が分かった。なるほど、第三セクターでもなく鉄路を維持できるのは他にも収入源があるからなのかと納得する。再び、あっという間の鉄道旅で御坊駅へ。f:id:sampit77:20230312162512j:image駅前のお土産屋さんで金山寺味噌を買ってみる。f:id:sampit77:20230312162516j:image御坊から和歌山に戻る前に、途中下車して紀三井寺に寄り道。f:id:sampit77:20230313085838j:image紀三井寺は770年に唐の僧、為光上人によって創られた古刹。紀州にある三つの井戸があるお寺ということで紀三井寺と呼ばれるようになったそうだ。f:id:sampit77:20230313085849j:imageお寺へと続く坂道を登る。f:id:sampit77:20230313085857j:image向こうに景勝地和歌浦が見える。万葉集に詠まれている和歌浦、歴史があって面白そうだったけど、微妙にバスの時間が合わず、歩くのも遠くて行くのを断念したのだった。f:id:sampit77:20230313085910j:imagef:id:sampit77:20230313085921j:image本堂は1759年築、他にも歴史のある建築が濃くなってきた木々の間に立ち並ぶ。f:id:sampit77:20230313085934j:imagef:id:sampit77:20230313090017j:imageまだ15時を少し回ったくらい、まだ時間がある。和歌山に戻って、和歌山電鐵に乗ってみることにした。f:id:sampit77:20230313090106j:image和歌山電鐵は、少し前に猫の駅長たまで脚光を浴びたことでご存知の方も多いのではないだろうか。f:id:sampit77:20230313090126j:imageたまは2015年に亡くなったものの、貴志駅の名誉永久駅長となっているらしく、とても可愛いラッピングの電車が走っている。f:id:sampit77:20230313090146j:imagef:id:sampit77:20230313090204j:image伊太祁曽(いたきそ)駅という途中駅で降りてみる。f:id:sampit77:20230313090227j:imagef:id:sampit77:20230313090241j:image地名の由来なのだろう伊太祁曽神社へ。調べてみるとここは五十猛命(いたけるのみこと)を祀る神社。日本書紀によると、五十猛命は日本中に木を植えた神様だそうで、最終的に和歌山を居住の地に選んだのだそう。そして、紀伊の国という地名自体、木の国から来ているのだそう。f:id:sampit77:20230313090253j:imagef:id:sampit77:20230313090321j:image降り始めた小雨も相まって、荘厳な雰囲気の境内。f:id:sampit77:20230313090342j:image神話に基づく厄除けの木またくぐり。木にまつわる神社らしい。老夫婦に続いて挑戦してみる。修学旅行の東大寺でも似たようなことをしたっけ。f:id:sampit77:20230313090357j:imagef:id:sampit77:20230313090414j:image雰囲気のある伊太祁曽駅で、貴志行きの電車を待っていると、名誉永久駅長のデザインの車両がやって来た。f:id:sampit77:20230313090436j:imagef:id:sampit77:20230313090453j:image車内もバッチリたまさんだらけ。あまりこういうゴテゴテのコンセプトのある電車は好みでなかったものの、細部まで凝っていて可愛くて、面白かった。f:id:sampit77:20230313090511j:imagef:id:sampit77:20230313090539j:image終点の貴志駅に到着。駅舎にも猫耳がついている。貴志駅はタマ駅長亡き今も、猫のニタマという駅長さんがいるらしい。私が行った時は不在だった。f:id:sampit77:20230313090524j:image貴志駅近辺は特に何かがある訳でもなく。近くの貴志川の町も少し離れているようだった。f:id:sampit77:20230313090556j:image折り返し和歌山方面に戻る時の車両、こんどは名産のいちごをあしらったデザインの車両。ものの見事な旅行者誘致戦略。

この貴志川線は、もともとは南海電鉄の路線だったもの。2006年に和歌山電鐵が発足し引き継いだものらしい。しかもこの和歌山電鐵岡山電気軌道の完全子会社というのも興味深い。f:id:sampit77:20230313090616j:image2日間の移動の疲れが溜まってきた感じがして、思いっきり大浴場で足を伸ばしたいなと思う。そして探し出した花山温泉貴志川線日前宮という駅から、20分ほど歩いた場所にある(歩くには少し遠かった)。温泉の色は茶褐色。大浴場のタイルは鍾乳洞さながら色々な成分が固まっていた。強烈な鉄分と炭酸泉、温泉入ったー!という満足感に溢れる。f:id:sampit77:20230313090632j:image温泉に入った後は美味しいご飯を。せっかくだから郷土料理を食べてみたく、調べてみると『めはり寿司』というものを知る。f:id:sampit77:20230313090651j:image主に熊野地方の料理だそうだが、漁や山仕事をする人たちのお弁当だったらしい。名前の由来は、「目を見張るほど大きく口を開けるから」、「目を見張るほどに美味しいから」、「おにぎりに目張りをするように完全に包むから」、など諸説あるらしい。

塩漬けした高菜で巻いたおにぎりというシンプルなものだけど、とっても美味しく4つ簡単に平らげてしまった。満腹で幸せな気持ちの中、バスでホテルまで帰って翌日の交通機関の時間を調べる。f:id:sampit77:20230326173327j:imageこの日の戦利品、御坊で買った金山寺味噌。日々の食卓を豊かにした。

3日目はこれにて終了。翌日はフェリーで徳島へ。つづく。

和歌山・徳島旅行記③・いざ徳島へ。愛すべき眉山、鳴門の海 - 旅の記憶