4日目 和歌山▶︎▶︎▶︎徳島
鹿児島で育った私には、フェリーで移動することは全く特別なことではなかった。遊びに行く時、祖父母の家に行く時、頻繁に鹿児島湾を横断するフェリーを使った。
しかし、上京してからというものの、めっきりフェリーは日常の交通手段ではなくなった。東京湾を横断する用事なんて滅多にない。
だから和歌山から徳島にフェリーで渡る、この日を心待ちにしていた。甲板で海風にあたるひと時、客室からぼんやり海を眺める時間。懐かしいこの感覚をいつしか渇望していたのだ。目覚めてカーテンを開ける。和歌山城の上に広がる空は青かった。快晴、フェリー日和。そして今日向かう徳島は私にとって未知の場所。どんな景色が広がっているのだろう、高揚感が足取りを軽くさせる。さよなら和歌山、新しい旅先へと向かうため、駅へと向かった。
※前日の旅行記はこちらから→和歌山・徳島旅行記②和歌山ローカル線の旅(紀州鉄道・御坊/和歌山電鐵/めはり寿司) - 旅の記憶向かうのは和歌山駅ではなく和歌山市駅。和歌山駅はJRと和歌山電鐵が乗り入れている一方、和歌山市駅はより港側に位置し、難波から来た南海電車とJRが乗り入れる駅だ。フェリー乗り場まで行くのは南海電車。そしてフェリー自体も南海がやっている。アンスリー、見慣れないコンビニだ。京阪と南海の駅にあるコンビニらしいが、残念ながら23年中に全て消滅してしまうらしい。フェリーで食べる朝食を購入。和歌山港行きの特急サザン、一部車両は座席指定のようだ、私は座席指定なしの車両へ。移動時間は約5分、すぐに和歌山港駅に到着。電車は折り返し特急サザンなんば行きになった。案内板が関東では絶滅したパタパタ(反転フラップ式案内表示機)ではないか。駅からフェリー乗り場は直結、人の流れに乗って、船へ。8時25分発、フェリーかつらぎ。出港前から甲板に出てみる、それにしても良い天気。今年中に幻になるのだろうアンスリーのお弁当、ボリューミーな朝食を甲板で食べる。時間通りに船は出航、徳島まで約2時間の船旅だ。和歌山港の周りには工場群が立ち並ぶ。製鉄所だと思う。淡路島と紀伊半島、そして四国の島影を追いながら過ごす。気温がぐんぐんと上がっていくのを肌で感じる。途中、客室でうたた寝をして、旅の英気を養う。眠気覚ましのアイスコーヒーが美味しい。10時30分、船は徳島港に到着した。このまま海に入りたくなるような気温と日差し、外に出るとジワりと汗ばむ。まず港から市街地まで市営バスで移動する。フェリーにはたくさんの人が乗っていたのにバスに乗る人はまばら。他の人はみんな迎えがあるのだろうか。まず2泊する宿に荷物を預けてもらって街をぶらぶら。両国橋に阿波踊りの像。川の色はもう夏の色。とりあえず繁華街を歩く、ここの商店街は活気がある。昔の阿波踊りの写真を見つける。このアーケードの中で踊るのか。すごい密度で、まさにお祭り騒ぎという感じだ。この時はコロナ全盛期、賑やかな写真を見るとなんだか懐かしかった。駅から徳島市のシンボルといえよう眉山まで伸びる新町橋通りに出る。並木はヤシの木、和歌山から西に移動しただけなのに一気に濃くなる南国感。眉山へはロープウェイがあったはず、少ない徳島の知識でもそのことは心得ていた。そしてそのロープウェイは写真中央に写る阿波踊り会館から出ているはずだった。まずは眉山へ登って街を一望することに決めた。眉山への登山道入口にある徳島天神社にお参りし、いざ阿波踊り会館へ…。しかし入口が開いていない。閉館中の張り紙が貼ってある。そうであればロープウェイに乗るための他に入口が開いているはず。建物をぐるりと回り、神社の方にもう一度戻ったが、それらしきもが無い。嫌な予感がよぎる。調べてみると嫌な予感はまさに的中、ロープウェイもまさかの運休中だったのだ(コロナが原因だったはず)。
歩いて登るか。否、この気温で登ると汗だくになってその後の行程に支障をきたしそう…。泣く泣くそう判断し、別の行程を考えてみることに。あまりにも無計画に来てしまった。徳島駅の駅ビルでガイドブックを買って考えてみることに。それにしても暑い。ちょっと歩いただけで汗がにじむ。駅ビルの冷房もガンガンだ。駅ビルでは巡礼用の装束セットがあってあった。これ、ショーウィンドウに出すんだ、そして駅ビルで衣装揃うんだ。
和歌山と徳島をセットで旅しようと思ったきっかけは紀ノ川と吉野川沿いの断層の地形が面白そうだったから。だから吉野川沿いにJR徳島線で旅してみようかと考えていたが、ガイドブックの鳴門のページが私の心を掴んだ。
うずしお。見てみたい。
そうして鳴門に行ってみることに決めた。
徳島▶︎▶︎▶︎鳴門
鳴門行きの列車の時間は13時34分。まだ12時を回ったばかりで時間があったので駅近くで昼食にした。訪れたのは駅前のアーケードにある「けんど茶屋」。徳島の名物が色々と食べられるお店。私が注文したのは「そば米雑炊」。山間の祖谷地方の郷土料理だそうだが、初めて知る料理。祖谷地方では米があまり取れず、蕎麦の栽培がされてきたそうで、その蕎麦の実を粉にせず雑炊にしているのだそう。優しい味で、でも風味があってとても美味しい。まだ列車まで時間があったので駅周辺を散策。駅の反対側は徳島城址、今は公園になってるようなので行ってみる。途中、線路を渡る。ここは車両基地だろうか。JR四国の車両たちを眺めてみる。そして、お気づきだろうか、この車両基地に架線の無いことを。そう徳島は日本で唯一、電車が走っていない県なのだ。徳島を走る列車は全てディーゼルカー、いわば汽車ということになる。愛すべき汽車が1両で駆け抜けていく。正直電車だろうが気動車だろうが、ハイブリッドだろうが、利用する立場からすれば何も違いはないのだけれど。徳島城址にある徳島中央公園にやって来た。徳島城はかつての蜂須賀家の居城、公園内には石垣が残る。元々お堀だった場所だろうか、海からクラゲが迷い込んできていた。新緑が気持ち良い公園を後にし、徳島駅へ。自動改札ではなく、有人改札の徳島駅、趣深い。鳴門へはJR鳴門線で35分、乗ってしまえばすぐに着きそうだ。もう夏のような日差しの中、ディーゼルカーの音がガラガラガラとホームに響く。徳島駅を発車してすぐ、吉野川を渡り、列車は北上していく。車窓から見えるれんこん畑を横目に、頭の中ではぐるぐると渦を巻く鳴門の海に思いを馳せていた。池谷駅で徳島線から鳴門線が分岐、ここから進路を北東へと変える。鳴門駅に到着、意外と利用者が多い。うずしお目当ては私くらいでほとんどが日常の生活で使っているようだった。駅から鳴門公園という海峡に面した公園へはバスでの移動。バスは市街地を出るとすぐに立派な橋を渡る。鳴門公園もこの橋の先の大毛島という島にあるようだ。眼下にはボートレース場。
揺られること約25分、バスは目的地・鳴門公園に到着した。頭上には高速道路、この道を走れば鳴門海峡、明石海峡と渡り神戸へと辿り着く。ここからは歩いて鳴門海峡に近づいてみる。歩くこと約10分、ついに鳴門海峡がついに見えた。橋の麓の海面が波立っている、果たしてあれは渦潮なのだろうか、よく見えない。渦潮の仕組みを看板で知る。売店ですだちのジュースを買う。暑い日にバッチリの爽やかな飲み物だ。公園は広い、海まで行けるようなので歩いて行ってみる。橋の下にやって来た、足を海に浸からせてしばしぼんやり。この辺りは誰もいない。どんなに海に近づいても渦潮をくっきりと見ることはできないものの、少し向こうに常に波立っている部分がある、やはりあれが渦潮なのか。遊覧船が通り過ぎていく。100円を入れて双眼鏡を覗いてみる。双眼鏡越しにスマホで撮って拡大すれば渦潮が確認できるかと思ったけど、うまく行かなかった。
結局、渦潮を見たのかどうかよく分からない、しかし見晴らしの良い景色をゆっくりと堪能できて満足。
鳴門▶︎▶︎▶︎眉山
16時15分発のバスで鳴門駅へ。バスはまさかの遅延。乗りたかった鳴門線の列車は行ってしまった。次の電車は50分後、折角なので隣の撫養(むや)駅まで歩いてみることに。商店街にあった焼き鳥屋さんの匂いにつられ買い食い。さらに雰囲気の良い街角のパン屋さんにつられ、また買い食い。町の中心にあった事代主神社、青銅の鳥居と境内の木々の青さが印象的。この神社からまっすぐと伸びる道の先に撫養駅があった。今では静かな撫養の町、しかしここはかつて淡路島から船が着いていた四国の玄関口だったそうだ。そのため、ここ撫養の辺りから吉野川に沿って西に向かう道は撫養街道と呼ばれており、さっきのパン屋さんや神社も、この街道沿いだったようだ。偶然知った撫養の町、歴史的に面白い場所だったとは。バスに乗り遅れたからこそ知れたこと。車掌さんから車内で切符を買い、窓を開けて心地よい風を浴びながら徳島駅に戻る。18時前、まだまだ太陽が高く、青空に覆われている徳島の街。ホテルに戻るには少し早すぎる。思案してると正面にそびえる眉山が目に入る。これから歩いて登ると夕暮れの景色が綺麗かも…。そんな思いが脳裏をよぎる。迷ったら登ってしまった方がいいか、危なければ戻ろう。と、少々危険な賭けにでる。駅に着いた時よりも、少しずつ空の色が淡くなってきている、木の覆う登山道は結構暗い。早歩きで階段を登っていく。階段を登ると今度は、ゴツゴツトした石と、張り出した木の根で足場が悪くなる。バランスを取りながら歩くため、中々思うように進まない。息が上がる。途中、下山する2組にすれ違った一方、登ってる人なんて、前にも後ろにもいなかった。ロープウェイの支柱があった。この場所から見下ろすと市街地と海が一望できた。まだ頂上ではないものの、ここでもかなりの絶景。しかしまだ道は続いているようだ。再び石と根の悪路、日が暮れる前に、と無理して早歩きで進む。汗がじっとりとシャツを濡らす。歩き始めて約30分、視界がひらけて道も平坦になった。そろそろ頂上か。電波塔の麓を通り…。ついに展望台へ。市街地と瀬戸内海と淡路島、そして遠くに神戸の辺りまで見えている。標高は290メートルもあったらしい。なんとか日没に間に合った、ヘトヘトになりながらも、目にした絶景は何よりも嬉しいご褒美。忘れられない景色になった。街の反対側は、吉野川沿いに水を張った田んぼが延々と続いていく景色。田んぼが沈んでいく太陽に照らされてオレンジ色に染まっている。眉山頂上にはビルマからの帰還兵たちが建てたパゴダもある。私以外にも、展望台には数組の人たちが来ていたが全員車で来ているようだ。完全に日が没する前に街に戻ろう。さっきの悪路で下山する自信はないので、舗装された道路で戻ることにする。18時50分、下山開始。19時、木の隙間から市街地の光。19時20分、いよいよ暗くなってきた。19時25分、眉山頂上の電波塔が見える。
案外山深いところを下っていく。山の奥から色々な鳴き声が聴こえる。そしてスピードを出している車に気をつけながら進む。19時40分、ようやく下りきることができた。しかし一安心も束の間、徳島の市街地からだいぶ離れてしまったような気がする、ここはどこ…。
5分ほどさらに進むとバスの走る幹線道路に出た。きっともう大丈夫、街に戻れるだろう。18時から始めた小さな登山を無事終えた祝杯をあげよう、目に入った小さな韓国料理屋に入ることにした。名物ではないけれど、旅先で地元に根付いたお店に入るのもまた一興。恐らく徳島初日の旅人が使うことなんてまず無いだろうバス停でバスに乗り、無事ホテルへ。案外市街地に近かったらしく乗車時間は8分程。
21時に宿に戻り、明日の計画を立てるのでした。つづく。
和歌山・徳島旅行記④【完結編】 ひたすら南下・室戸岬 - 旅の記憶