青森旅行記・恐山と下北半島ドライブ

2019年8月末、あまりにも暑い東京と、異動したての仕事に辟易とした私は、1人青森に向かった。金曜の夜、仕事を散らかしたまま、弘南バスの夜行便に乗り込みひたすら北へ、週末の逃避行の記憶。

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2019年8月23日金曜日の午後9時半、私はバスタにいた。新しい部署で約2ヶ月…あまりの業務量と人間関係の掴めなさに疲弊しきっていた。しかも連日の酷暑である。耐え兼ねた私は会社に着替えの入ったザックを持って出社し、強い気持ちで仕事をして、早々と会社をあとにした。まとわりつく熱された空気、そして膨大な仕事…有給は取れないが気持ちを晴れやかにしたいと強烈に感じていた。そしてそれを叶えるためには答えは一つしかない気がしていた。そう、北へ向かおう。と。

そして私は高速バスを調べる。ようやく探し当てたのが21:55バスタ発の弘南バス、えんぶり号青森行きだった。f:id:sampit77:20201015001249j:image東北道をひたすら北へ向かう。休憩するサービスエリアの度に気温が下がるのが分かる。福島の国見、岩手の紫波とバスを降りるたびに気持ちが高鳴った。f:id:sampit77:20201015002122j:image夜明けのサービスエリア。涼しさと夜明けの美しさに心が洗われる。

朝6:10に本八戸駅前に到着。f:id:sampit77:20201016003026j:image本八戸駅は八戸から出ているJR八戸線の駅。本八戸というくらいだからここが中心部なのかなと思いきや、駅前は閑散としていた。
f:id:sampit77:20201016003022j:imageニュー朝日湯という銭湯を見つけたので、駅から1.5キロくらい南下する。八戸城址の前を通り、さくら野百貨店などを通り過ぎる。ここが中心部なのだろうか。熱々のお風呂で目を覚ます。脱衣所でのおじさんたちの話が、訛りが強く分からない。海外旅行に来ているようだ。
f:id:sampit77:20201016003014j:image銭湯から歩いて戻り、本八戸駅前へ。八戸市営バスが通っていく。
f:id:sampit77:20201016003010j:image本八戸から八戸まで八戸線に乗る。うみねこレール八戸市内線というらしい。八戸の逆方向に乗って陸奥湊まで行って海鮮丼でも食べようかなと思ったが、なかなか時間がかかるので、断念。下北半島を目指したかったからだ。八戸駅に併設されているホテルの朝のバイキングを食べる。せんべい汁をはじめ青森名物を堪能出来た。
f:id:sampit77:20201016003029j:image青い森鉄道経由で大湊線に直通する列車に乗る。大湊線下北半島の西側の海沿いをひたすら走っていく路線。最果てに向かうという感じがしそうだなと胸が高鳴る。
f:id:sampit77:20201016003033j:image野辺地で大湊線に入ると期待してたとおり、左手に陸奥湾が広がる。
f:id:sampit77:20201016003006j:imageそして一直線の単線の線路。ただ北に向かっている。電化されていないから、遮るものがなくただただ空が広い。
f:id:sampit77:20201016003018j:image八戸から約1時間半で下北駅に到着した。ここは終点の大湊の一駅手前だ。
f:id:sampit77:20201016003038j:image下北駅を降りる。下北半島に行ったら、絶対に恐山に行きたかった。イタコの口寄せであったり、風車が回る風景だったりどこか現実離れした世界を見てみたかったからだ。f:id:sampit77:20201028004418j:image駅前に下北交通の恐山行きのバスいた。行き先表示が潔い。この後の便を考え、バスではなくレンタカーを借りることにした。駅前のレンタカー屋で車を借りる。私の書いた住所を見た店員さんに、「私もうすぐ上京するんです、今住んでるところは住みやすいですか?」と質問された。今頃どこに住んでるのだろうか。

f:id:sampit77:20201028004155j:image下北駅前から車を走らせて30分くらいだっただろうか。恐山が近づいてきた。道沿いにはお地蔵さんがあり、異世界へ入り込んできたかのよう。宇曽利山湖という湖へ着いた。火山性の物質が流れ込んでいるらしく、生き物がほぼいないという宇曽利山湖。美しすぎる湖は、奇妙で不気味だ。
f:id:sampit77:20201028004151j:image宇曽利山湖付近、荒涼としている景色の中を冷たい風がそよぐ。白い車はこの旅のパートナー。
f:id:sampit77:20201028004301j:image宇曽利山湖に注ぐ水は、硫黄のようなものが流れているのだろうか。
f:id:sampit77:20201028004257j:image日本三代霊場(残る二つは高野山比叡山らしい)恐山に到着。なにか異国のような雰囲気だ。f:id:sampit77:20201110100521j:image門をくぐる。この山道の左側に温泉の小屋があったが、入浴は躊躇ってしまった。
f:id:sampit77:20201110100448j:imageお地蔵様と風車。静かな空気の中、風車が回る音が響く。どうやら火山性のガスが出ているため、お線香は危険で風車を置いているとのことらしい。
f:id:sampit77:20201110100500j:image先述した温泉。
f:id:sampit77:20201110100457j:image死後の世界を模しているという。火山性の岩の中、お地蔵様と風車の脇を歩いていく。
f:id:sampit77:20201110100452j:image遠くに宇曽利山湖が見えてきた。
f:id:sampit77:20201110100504j:imageこんな景観が広がっていたら、信仰の対象になるのはとても納得できる。
f:id:sampit77:20201110100509j:image宇曽利山湖へ。まるで南の島の海のよう。
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f:id:sampit77:20201110100516j:image宇曽利山湖畔は砂浜になっていて、極楽浜と名付けられている。あまりに綺麗な景色にしばし見惚れる。これは本当に天国のようだ。
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f:id:sampit77:20201110100439j:imageゆっくりと宇曽利山湖を眺めつつ出口に向かう。こんな場所が日本にあるのが信じがたかった。人間が生きていけるぎりぎりでの地球の荒々しさとの接点という感じがした。
f:id:sampit77:20201110100443j:image車に戻り、恐山を後へ。この後、下北半島を一周することにした。恐山から一旦、陸奥湾沿いへ南下し、海沿いをつたって、北端の大間を目指すことにした。この時の時間は13時過ぎ、遅めのお昼に大間のマグロにありつきたいという希望を持ちつつ出発した。f:id:sampit77:20201113211503j:image陸奥湾沿いを駆け抜ける。青空と海と松並木が美しく思わず車を止める。
f:id:sampit77:20201113211439j:image1時間ほど走って、進路を西から北へと変える。大間へ向かって北上していくのだ。脇野沢というあたりの道の駅から、国道338号線を。天気が変わりやすいのか雨が降ってすぐ止んだ。
f:id:sampit77:20201113211511j:image脇野沢の道の駅から再び1時間ほど車を走らせ佐井村に入る。菜の花が美しい一本道。
f:id:sampit77:20201113211459j:imageこの後も穏やかな道が続くと思いきや、リアス式海岸で、かなり険しい登り坂とヘアピンカーブ、おまけに霧まで立ち込めて、かなり悪環境を走り抜ける。仏ヶ浦というところから、津軽海峡を望む。向かいの津軽半島はもう横並びにはいない。下北半島の方が少し北に突き出しているのだ。
f:id:sampit77:20201113211514j:image仏ヶ浦は景勝地らしく、海岸まで降りたら、また絶景が広がっていたらしい。しかし、大間まで急ぎたい私は、国道沿いの駐車場から眺めるにとどめる。
f:id:sampit77:20201113211435j:image津軽海峡を右手に、狭隘路を走り続ける。うっすら見える山並みは北海道か。
f:id:sampit77:20201113211507j:image思ったより大間が遠い。そして悪路が続く。途中濃霧の中を進んだり、狭隘路を進んだり。写真は願掛岩というらしい。近くを車で通れるが、巨岩に圧倒される。そしてこの岩に当たる波しぶきが荒々しい。これが津軽海峡か。自然の中を30分ほど走ると小さな漁村が現れるということを何度も繰り返した。漁村に入ると道は狭くなり周りに家々がひしめく。漁村の家々は、木造でとても美しい。そしてあまり太平洋側では見たことのない形だ。
f:id:sampit77:20201113211453j:image小さな漁村。天気の移り変わりが激しい。
f:id:sampit77:20201113211442j:imageふと、とても大きな虹が出ていることに気づいた。車を止めて写真を撮る。
f:id:sampit77:20201113211447j:image大間岬についたのはなんと17時過ぎ。すっかりお昼の時間を過ぎていた。下北半島の大きさ、そして道の悪さを甘く見ていた。串刺しのマグロを頬張る。f:id:sampit77:20210117112018j:image北海道がもうすぐそこだ。だいぶ北の果てまでやって来た気持ちだったが、まだそのさらに北にたくさんの人が住んでいるとは、不思議な気持ちになった。

大間からは国道279号を走る。ここからの海沿いの道は整備されていて走りやすい。北側の左手に北海道がずっと見えていて、ラジオも北海道の放送の方が入りやすかった。1時間くらい走っただろうか、下北半島はむつの中心部以北は鉄道がないはずなのに、鉄道線の鉄橋のようなものの下をくぐった。調べてみると、旧下北交通大畑線というものだった。国鉄が敷設して、バス会社である下北交通が引き継いで運行していたものらしい。2001年に廃止されたそう。

むつ市内の予約していたホテルに到着。8時近くだったはずだ。

f:id:sampit77:20210117112030j:image街を散策すると、自衛隊があるからなのかやたらと都市規模の割に歓楽街が大きい。一人旅旅行者にはあまりにも入りづらいスナックがずらり。結局、入りづらさに負け、洋食屋で夕食を済ませた。


f:id:sampit77:20210117112004j:image翌朝、また中心部の様子。
f:id:sampit77:20210117112022j:imageレンタカーは乗り捨て可能だったから、新八戸で返却して、新幹線で帰ることにした。下北半島を今度は南下していく。
f:id:sampit77:20210117112008j:image陸奥湾。向こうに見えるのは津軽半島
f:id:sampit77:20210117112014j:image道中、あまり集落らしき集落がなく、大自然の中を駆け抜けた。恐山の時も感じた、異世界感を感じる。そして、周りの車のスピードがものすごい。みんな大体一般道を90キロくらいで飛ばしてくる。山がなく一本道だから走りやすいのだ。f:id:sampit77:20210117112025j:image六ヶ所村も通った。原子力関係だけでなく、広大な土地に太陽光や風力発電をやっていたのも印象的だ。

この後、程なくして三沢を通り新八戸駅に到着し、レンタカーを返す。旧に現れる現代的な街並みに戸惑う。駅前で物産展をしていたのでそこで昼食をとり、東北新幹線で東京に帰った。

頭を空っぽにして、大自然の中を思いっきり駆け抜けた今回の旅は、東京での私の悩みなんて小っぽけなものだと思わせてくれた。次はその先、北海道へ行ってみたいと思った。

 おしまい。